15年戦争期の大陸兵站基地化政策


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(1)15年戦争

 中国侵略→兵站基地化

┌物質的:軍需工業の発展資源開発(鉱産、電力)
└精神的:皇国臣民化による「内鮮一体」

 朝鮮を物質的・人的に戦時動員

 

(2)前期(1931〜37)=準備期  宇垣一成総督(1931.6〜36.8)

a)農村振興運動(1932〜36)

 世界恐慌による朝鮮農村経済の破綻「自力更生」

 各行政単位(府郡・邑面)に「農村振興委員会」設置。邑面単位で30〜40戸の集団部落を1つずつ選定(更正指導部落)→自給自足
 警察・教員・金融組合まで参加(権力機構結集)=末端権力機構が直接個々の農家・人民を掌握
    ↓
 多角経営・副業の奨励、出費節約(家計簿点検など)、負債整理のため金融組合利用→1戸ずつ指導

 指導には実業教育を受けた青年をあて、更正指導部落の青年を農業訓練所や講習所で教育し、統治権力の末端の農村指導者に育成 

 地主の搾取(高額小作料)には手を触れず精神改造=「皇国臣民」化を強調(農民の「自覚」が第一という立場)

*朝鮮民衆の労働力を最大限に動員=搾取の一層強化
*農村経済の救済には無意味、民衆を画一的に組織する道を開く

 その他、自作農創設(1932〜)、朝鮮農地令(1934)などで農民の懐柔をはかる

b)工業化の準備

 背景
農村過剰人口の吸収:農民層没落→小作争議の尖鋭化(植民地支配体制の動揺を抑制)
大陸侵略の進展:兵站基地として軍需工業化の必要性

 日本資本の誘致←日本本土では統制経済により自由な経済活動制約

 電力産業=工業発展の基礎条件づくり
 日窒、鴨緑江水系に人造湖・ダム建設(赴戦江発電所、1929〜)

 

(3)後期(1937〜45)=展開期  南次郎総督(1936.8〜42.5)

a)北部の重化学工業化

 軍需工業の拡充←統制経済採用(1937)、資金の重点配分
 地下資源と電力を結合=鉄鋼、軽金属(アルミニウム・マグネシウム)、石油部門中心

*熟練工養成、中小企業下請化、新興財閥が主導的役割

b)皇民化政策=「内鮮一体」→戦時動員のための精神的基盤

 神社参拝=各地に神社建設、宮城遙拝、「愛国日」(1937〜)

 「皇国臣民の誓詞」(1937)

 初等教育で「朝鮮語」科目の随意化(1938)←第3次朝鮮教育令

 「創氏改名」(1939):朝鮮民事令改定→朝鮮に「家」制度導入

  

 国民精神総動員朝鮮連盟(1938)→国民総力朝鮮連盟(1940)
 10戸単位の愛国班構成(最底辺の皇民化)

c)戦時動員体制の構築=兵力・労働力・性的慰安

 志願兵制(1938)→徴兵制(1944)、学徒出陣(1943)

 強制連行:募集(1939)→官斡旋(1943)→徴用(1944)
 鉱山や軍事施設の建設現場、敗戦時200万名こえる

 「慰安婦」10〜20万人?←南京大虐殺が契機。性病予防、士気の高揚、強姦防止など目的

d)「親日派」の戦争協力

 職業的「親日派」=自らの利益、立身出世・私利私欲のため
 「併合」前後より存在。李完用、一進会、警察・軍隊・官僚

 民族改良主義者からの転向
 「内鮮一体」のスローガンに幻惑→日本人になりきることで「差別からの脱出」展望。倒錯・屈折した民族意識=人間性そのものの破壊

 知識人:金性洙、尹致昊、崔麟、張徳秀、金活蘭、李光洙、崔南善→徴兵制支持、参政権運動
 買弁資本家:金聚洙(京城紡績、満州国名誉領事、総督府中枢院参議)、朴興植(和信百貨店)、閔大植(東一銀行)