江華島事件と朝鮮の開国


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(1)江華島事件(雲揚号事件。1875.9.20)

 日本軍艦「雲揚」、江華島の南に停泊。小船を出して島と本土の間の水路を北上

 朝鮮側、草芝鎮より発砲。本鑑から草芝鎮に砲撃、陸戦隊が永宗島に上陸、役所と民家を焼き払い、兵士・人民30余名を殺害

 日本側:牛荘(営口。遼寧省)への航路調査中、飲料水補給のため立ち寄ろうとしたと主張

*口実にすぎない(首都防衛の拠点に軍艦派遣)。計画的な挑発行為=軍事的威嚇による開国強要

 cf:資料・広津弘信(釜山で外交交渉の副官)の建議書(1975.4)

 

(2)当時の朝鮮国内の主要な政治グループ

〔1〕大院君派:興宣大院君(26代国王・高宗の父)中心

 大院君の政策――1863〜73に政権の座

a)王権の強化による体制の維持

 勢道政治の腐敗一掃(腐敗官僚の処罰、書院の整理、景福宮再建)

b)外国の侵略阻止←鎖国攘夷

 思想的背景:衛正斥邪(キリスト教的価値観から朝鮮の儒教的価値観の唯一性・純潔性を固守)

 ゼネラル=シャーマン号事件(1866.7)、丙寅洋擾(1866.10)、辛未洋擾(1871.6)――いずれも撃退

 明治維新後の日本の開国要求も拒否(1869〜70)

〔2〕閔氏派:王妃(閔妃。明成皇后)一族=驪興閔氏中心

 1873末、大院君を失脚させ、政権掌握(=勢道政治復活)

┏直接の契機:儒生・崔益鉉が大院君批判の上訴、退陣要求(→流刑)
┃ ――書院撤廃に対する儒生の不満

┗背景:重税により民衆の支持喪失←寄進強要(願納銭)、悪貨「当百銭」鋳造(インフレ)

  国王と閔氏一族による大院君追放=閔氏政権成立

 大院君の政策ほとんど廃棄=保守勢力の基盤を復活・維持→腐敗の深刻化

※政権交代による鎖国政策への影響

a)大院君系の官僚一掃=対日政策担当者も交代(訓導・安東は大院君の腹心、処刑)→強硬路線放棄=鎖国派後退

b)台湾出兵(1874.5)→清の対日融和策勧告で対日政策再検討

 

(3)日朝修好条規(江華島条約。1876.2.26)

┏日本側:黒田清隆、井上馨。軍艦3隻で来航

┗朝鮮側:申、尹滋承(姜、呉慶錫も出席)

 のち条規附録・貿易章程も締結(1876.8.24)

  これら諸条約の総合により日朝関係が規定

※特徴

a)不平等条約

 日本の領事裁判権(第10款)

 無関税(日朝往復書翰)→のち協定関税制

 開港場における日本貨幣の使用(付録第7款)

b)釜山およびその他2港の開港(第5款)→元山(1880)、仁川(1883)

  世界資本主義体制に従属的に編入

 その後、列強と条約締結。朝英修好通商条約(1883)で不平等条約体制完成

 

(4)不平等条約体制の歴史的位置

      欧米列強┐
        │  │
        ↓  │
      日本・清│
       ││ │
       ↓↓ │
       朝鮮←┘

 後進資本主義の建設が朝鮮により苛酷な二重の外圧を加える

欧米列強の圧力を受けつつ資本主義的発展をめざした東アジア国際体制の矛盾・しわ寄せが朝鮮に集中

  通商条約に反映

※朝鮮・清・日本の通商条約比較

┏清:天津条約(1858)

┗日本:日米通商修好条約(1858)――清の1840年代の条約の水準

*中国のほうが不平等性がより強い(半植民地化の段階的差違)←中国市場の重視、日本はその寄港地程度

 朝鮮:朝英修好通商条約(1883)――中国よりさらに不平等性が強い

*日本と同様に市場性が重視されないのになぜ?

 欧米列強以上に清・日から圧迫。とくに壬午軍乱時の軍事介入が決定的