1920年代の経済政策
(1)産米増殖計画
a)背景:米騒動(1918)→外米輸入から植民地米輸入へ
食糧の安定的供給(→自給率を高める)、国際収支の改善(外米が圧迫)
計画着手(1920) 朝鮮米の増産めざす
b)目的
・朝鮮内の需要増加に備える
・朝鮮農家経済の安定
・日本国内の食糧問題解決
c)方法=日本の「近代的」稲作技術の導入
┌土地改良:灌漑施設、地目変更(畑→水田)、開墾・干拓
└農事改良:品種改良、肥料の増施、耕作法の改良(正条植え)
米中心のモノカルチャー(単作型農業)へ。農業基盤の弱化(干害への抵抗力弱まる)
d)目標 1920から30年間、80万町歩の土地改良(1町歩は約1ha=100m四方)
第1期(1920〜35):42万7500町歩。約900万石増収、半数を日本へ→しかし1925まで、目標の約6割しか達成できず
*投資額の40%に民間資本導入期待→実際には土地改良(自作農)より高率小作料のため、土地所有(地主)の収益が上回り、土地購入に民間資本が流れる
更新計画(1926修正)
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世界恐慌で米価暴落→朝鮮米輸入反対運動で中断(1934)。第2次目標の47%のみ土地改良達成
e)結果
増産量を上回る対日輸出=飢餓輸出(朝鮮人の消費量減少、満州から粟・こうりゃん輸入)
土地の兼併促進:日本人大地主の進出、朝鮮農民の没落
*農業構造の資本主義化=米の商品化、金肥等「近代技術」のコスト上昇→商品貨幣経済浸透
*一方で、水利組合は大地主に有利に運営(耕地の面積の2/3以上の所有者の同意で設立)
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│恐慌
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階級分化を促進
モノカルチャー化→恐慌による米価暴落(1/3)で大打撃(1930年に春窮農家48.3%)
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離農=海外流出者:1945年まで400万人(朝鮮内人口の1/6)
(2)植民地工業の黎明
a)背景
第1次大戦による日本資本主義の急成長、会社令廃止(1920.4)
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日本資本の進出本格化、工業部門倍増
b)特徴:軽工業中心、小規模
食料品加工業(1929:63.5%)=大半は精米業(日本への搬出目的、コストの安い朝鮮で)
紡織業(10.9%)=低廉な労働力と原料(販売市場の朝鮮で現地生産)
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植民地超過利潤を目当てに第1次加工部門を担当させる
*日本工業の補完的役割、民族資本の成長は抑制