15年戦争期の国内民族解放運動


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(1)小作争議・労働争議の尖鋭化・左傾化

a)「赤色農民組合」「赤色労働組合」中心

 組織(秘密結社)の粘り強い再建試図→咸鏡道に集中(北間島の抗日武装闘争と連動)

 戦闘的性格強化:1930年代前半に参加人員・件数はむしろ増加傾向→検挙者奪還・警察署襲撃など暴力的に対立

b)背景

[1]1930年代に入ってからの弾圧強化←戦時体制への移行
 すべての民族解放運動を非合法化→対決姿勢強化→民族主義運動は脱落

[2]共産主義者の大衆運動への浸透←朝鮮共産党解体(1928)後
 「12月テーゼ」(1928)←コミンテルン第6回大会後
 「9月テーゼ」(1930):プロフィンテルン第5回大会
 「太労10月書信」(1931):汎太平洋労働組合秘書部
    ↓
 日中戦争全面化後、いっそうの弾圧強化で下降線へ

 

(2)消極的抵抗

 日本の敗戦を願う「流言飛語」、表向きは従いながら日本の戦争に冷淡な態度

 

(3)朝鮮共産党の再建運動

a)李載裕グループ

 金三竜、李観述らと前衛組織結成(1932)
 1934に大検挙、500名逮捕。李載裕(1934.1逮捕→34.4脱獄)、京城帝大教授・三宅鹿之助にかくまわれる(助手鄭泰植を通じ)。赤色労組のスト、学生にオルグ活動

b)ソウル・コムグループ(1939)

 朴憲永(1939出獄)、金三竜、李観述、鄭泰植ら
 全国に地下組織(地下グループの大部分網羅)、各派閥の非転向者結集→1940〜41に大部分検挙
    ↓
 1945.9.11 朝鮮共産党再建の中核(「国内派」)

 

(3)朝鮮建国同盟(1944.8.10)

 呂運亨を中心とした秘密結社
 日本の敗戦を予見、朝鮮の解放に備える
 延安の朝鮮独立同盟と連絡→国内進攻作戦計画
    ↓
 解放後、建国準備委員会(1945.8.15)
 総督府に代わって治安維持=事実上の行政機関、混乱防ぐ
 独立国家建設に向けて協同戦線推進