アメリカ軍の朝鮮南部占領(テキスト:1−5 米国軍の占領)


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(1)米太平洋陸軍(USAFPAC)の改組(1945.8.11)

 第24軍団(ホッジ中将)を第10軍(沖縄上陸部隊の主力)からマッカーサー直轄へ
南朝鮮の占領担当を決定(ソ連の進攻→日本の急速な崩壊で急拠決定)
朝鮮に最も近い沖縄に駐屯→「政治的空白」を埋める=ソ連が後ろ盾となる政権の樹立を防ぐ

*ホッジは生粋の軍人、朝鮮に関する知識なし

 警告ビラ「朝鮮の民衆に告ぐ」(9.2)←日本人から情報収集、共産主義者が平和と秩序を乱していると認識

 

(2)南朝鮮への進駐

 第24軍団沖縄出発(9.4)←満州・朝鮮へのソ連軍の急速な進撃で慌ただしく

 第一陣仁川到着(9.8。予定より1日遅れ)→ソウル進駐、降伏文書署名(9.9)
米、外出禁止令。歓迎行事も禁止
朝鮮人の出迎えに日本の特別警察隊が発砲2名死亡→米軍は追認

 マッカーサー布告第1号(9.7。資料[6]):朝鮮人を解放人民ではなく敵国人民として対処

 占領軍、軍政庁設置(9.12)→アーノルド軍政長官(少将)
旧総督府の日本人・朝鮮人職員を(幹部をのぞき)ほぼそのまま任用→朝鮮人の反発で、やむを得ない場合を除き日本人をはずす、親日派登用

           [占領軍] [軍政庁]       [各局]
 連合国軍最高司令官――司令官――軍政長官――政務総監――各局長
 (マッカーサー)  (ホッジ)         ↓
                      のち民政長官

 38度線以南の占領(1945.10現在、7万〜8万4千人)
京畿(9.11)

第7師団
江原(10月初)
慶尚(10月1週) 第40師団 ←→ 各地で人民委員会と対立
全羅(10月末)

第6師団(96師団の代わり)
済州(11.10)

 

(3)南朝鮮情勢に対する誤った評価

 日本人から情報収集:共産主義者が平和と秩序を乱していると認識
韓国民主党(9.16創立。宋鎮禹)に好意的、過大評価(資料[7])
朝鮮人民共和国、朝鮮共産党に冷淡
 「通訳政治」=英語を話す朝鮮人の多くは韓民党支持。米軍は民主主義の主力、大衆の代表と認識
実際は地主・資本家・親日派の集団。人共・朝共に対抗し圧倒的劣勢を挽回するため米軍政の支持を得ようと画策
9月上旬、米軍の南部朝鮮への進駐が現実化してから活動開始→韓民党の唯一の存在理由は建準に対抗

 米軍は韓民党と協力、人共・人民委員会弾圧