朝鮮独立問題をめぐる連合国の論議(テキスト:2−1 朝鮮独立問題)
(1)第2次大戦中の連合国会議――朝鮮独立の合意
a)カイロ宣言(1943.12.1発表)←カイロ会談(11.23-27。米英中)
対日無条件降伏要求。降伏後の領土規定→朝鮮は「やがて」(in due course)独立
蒋介石:朝鮮独立を強く主張
ローズベルトの思惑:中国が安定勢力との大前提で、日本の支配地域を国際管理=周辺大国の協調により独立形態決定→紛争防止
*その他、日本が第1次大戦後に獲得した太平洋島嶼の剥奪、満州・台湾の中国返還など
b)テヘラン会談(1943.11.28-12.1。米英ソ)
対独第2戦線決定(→1944.5北フランス上陸作戦)
ローズベルト:連合国による40年間の朝鮮信託統治構想提案。フィリピンにおける米の「善政」→50年で独立。自治・統治能力を欠く朝鮮人を後見、訓練期間必要
*朝鮮に対する偏見・誤解=即時独立の熱望、独立運動の歴史に対する無理解
スターリン:反対せず
c)ヤルタ会談(1945.2.4-11。米英ソ)
ドイツ4国占領管理、ソ連の対日宣戦秘密協定
2.8に朝鮮問題が話題
┌ローズベルト:20〜30年の米ソ中による信託統治
└スターリン:短ければ短いほどよい
d)ポツダム会談(1945.7.17-8.2。米英ソ)――ドイツ戦後処理
状況の変化=ローズベルト死去(45.4.12)、トルーマン新大統領は朝鮮問題に無関心。ドイツ降伏(45.5.7)
ポツダム宣言(45.7.26):米英に中国の同意をえて日本の無条件降伏要求(8.8ソ連参加)
7.22に信託統治問題一般について討議
┌スターリン:4国による朝鮮信託統治に同意
└チャーチル:イギリス植民地への波及をおそれ反発(イタリアの植民地リビアの例でソ連を牽制)
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議論が他の植民地の問題に発展、朝鮮の戦後処理問題は十分に話し合われず
*結局、朝鮮の独立回復は認めたものの、国際的共同管理=信託統治を経てという方針で口頭合意のみ。具体的な方式については棚上げ
(2)問題点
[1]実施方法・期間などは未確定、曖昧:ローズベルトの個人的構想、米英ソの対立で議論は煮詰まらず
[2]朝鮮民族の独立への期待に反する:大国による決定で、当事者の意向を無視