分断占領の決定(テキスト:2−2 分断占領の決定、1-2 日本占領と朝鮮占領)
(1)38度線の設定
1945.8.10〜11 SWNCC←ソ連の参戦(8.9)=満州・北部朝鮮に進撃
米ソ両軍の朝鮮占領地域確定(わずか30分の討論)
┌国務省:境界をできるだけ北へ
└陸海軍:ソ連は単独で朝鮮占領可能、承諾しないと判断
北緯38度線:ソウルを米の占領下、朝鮮半島をほぼ2分(これとセットの形で日本本土は米、サハリン・千島はソ連占領を構想)
│
↓
ソ連に通告(8.14。連合国最高司令官一般命令第1号案として)→ソ連、承諾の回答(8.15)→米側驚く
*カミングスの解釈
┌[1]北半分のみでソ連の安全保障には十分
└[2]日本の崩壊が意外に早い→対朝鮮政策未確定
米による戦後最初の「封じ込め」→ソ連の朝鮮、アジアへの影響力限定化を意図
(2)分断の責任所在
直接には米ソ、しかし日本にも間接責任
[1]8.15より日本の降伏が早くても遅くても分断占領は起こらない
早ければソ連は不参戦、米が単独占領。遅ければソ連が単独占領
[2]8.14の米提案で、日本と朝鮮の占領形態はセットの形
日本本土が分割を避けられたかわりに米ソ対立を反映して朝鮮が分割
[3]しかしより本質的には植民地統治全体の問題
苛酷な独立運動の弾圧→活動地域・理念が統一されず短期間の結集困難→朝鮮民族の主体的な政治活動を制限
日本の支配から離れ、ただちに建国作業に入った朝鮮人への不快感→日本人の安全、円滑な引き揚げのため米軍に偏見に満ちた情報提供→占領政策規定
(3)日本占領と朝鮮占領
日本、ポツダム宣言受諾発表(1945.8.15)=無条件降伏
これに先立ち(8.13)、米太平洋陸軍最高司令官マッカーサーを連合国(軍)最高司令官に任命
→ポツダム宣言の降伏条項を履行→連合国最高司令官総指令部(GHQ/SCAP)設置(10.2)
降伏文書調印(9.2)
│
↓
連合国最高司令官一般命令第1号(9.2)−降伏相手の地域分担
┌米中英ソによる武装解除(第1条)
├満州・北緯38度線以北の朝鮮、サハリン・千島→ソ連極東軍最高司令官ワシレフスキー元帥に降伏(ロ)
└日本本土・北緯38度線以南の朝鮮、琉球、フィリピン→米太平洋陸軍最高司令官マッカーサー元帥に降伏(ホ)
*その他、中国・台湾・北緯16度線以上の仏印→蒋介石に降伏(イ)。東南アジア→東南アジア軍司令官(オーストラリア)に降伏(ハ)委任統治諸島・小笠原諸島→米太平洋艦隊最高司令官ニミッツに降伏(ニ)
│
↓
日本本土の分断は回避=間接統治=日本政府を通じて
朝鮮半島は分断
┌(北)間接統治…1946.2.8北朝鮮臨時人民委員会成立
└(南)直接統治…米軍による軍政