日露戦争と朝鮮の保護国化
(1)日露の対立
a)ロシアの勢力後退(1898)←独立協会運動、日英の妨害
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満州進出:東清鉄道敷設権(1896)、旅順・大連租借(1898)、南満州支線(ハルビン〜旅順。1898)
義和団の反乱(1900)で満州占領
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日露の対立激化
b)日露の利害対立
┌日本:朝鮮の軍事的支配を認めさせ、ロシアの満州での勢力を弱める
└ロシア:日本の朝鮮支配に反対、満州は日本の利益範囲外=干渉拒絶
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英米の日本支持=英米からの外債で戦費調達(17億円中8億円)
┌日英同盟条約(1902)←中国でのロシアとの対立
└アメリカの太平洋・東アジアへの関心…ハワイ併合・米西戦争(1898)、門戸開放宣言(1899)
(2)開戦と「顧問政治」
朝鮮の「局外中立宣言」(1904.1.21)を無視、ソウル占領(2.6)
b)日韓議定書(1904.2.23)
施政改善に関し日本の忠告に従う(1)=内政干渉
軍事拠点の収用(4)
「対韓方針・対韓施政綱領」閣議決定(5.31):軍事占領継続、外交・財政を監督下、交通・通信機関掌握、経済的利権の拡大
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c)第1次日韓協約(1904.8.22)
「顧問政治」の開始=財務顧問・外交顧問の傭聘
目賀田種太郎(財務)、スチーブンス(外交、米人)以外に、実際には加藤増雄(宮内府)、野津鎮武(軍部)、丸山重俊(警務)、幣原坦(ひろし)(学務)など顧問に配置
顧問警察機構の確立:各道観察府所在地・開港場に日本人警察官派遣→朝鮮警察を監督
(3)保護国化と統監府の設置
a)「韓国保護件確立の件」閣議決定(1905.4)→外交権掌握めざす
列強の承認:桂・タフト協定(1905.7)、第2次日英同盟条約(1905.8)、ポーツマス条約(1905.9)
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朝鮮の外交を監理=掌握(1、2)→各国公使館閉鎖
統監(日本政府の代表)の職権
┌理事庁統轄:開港場等に設置(3)
│日本人顧問を監督
│駐箚軍に兵力使用命令(以上、統監府官制及理事庁官制[1905.12])
└「韓国施政改善に関する協議会」主宰
*外交のみならず内政にも関与
c)統監府設置(1906.2)→初代統監・伊藤博文着任(1906.3)