資料・国権回復運動


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(1)義兵の根強い抵抗

 前年[1908年]七月以降本年六月に至る一箇年間は、各月衝突せる暴徒の総数、終始三千名前後にして、賊勢殆んど固定の景況を示し、加之彼等の行動は年月を経るに従いて益々巧妙を極め、其諜報、勤務及警戒法等は弥々巧妙の度を増し、行動益々敏捷にして、時としては我討伐隊に対し、之を愚弄するが如き態度に出づることあり。其勢力、時に消長ありと雖、尚侮るべからずして、人をして平定の何れの時にあるや憂慮せしむるに至れり。(『朝鮮暴徒討伐誌』)

 

(2)カナダ人記者・マッケンジーの見た義兵

 私は、彼らの持っている銃を見せてもらった。六人の者がそれぞれちがった五種類の武器を持っていたが、その一つとしてろくなものはなかった。[中略]銃に火薬をつめるために使う込め矢は、自分の家で木をけずって作ったものであった。銃身は錆びていた。銃の背負い革はなくて、代わりに木綿の紐がついているだけであった。[中略]/彼らは、かわいそうなグループに見えた。彼らは、すでに死刑の判決を受けてそれが確定し、絶望的な運命にありながら戦っている人たちであった。しかし、私には、彼らの光り輝く目や、右側にいる下士官の微笑は、私を非難しているように思えた。同情! 私の同情は場違いであったかも知れない。少なくとも、彼らは、愛国心の範例をその同胞に対して示していた。ただしかし、彼らは、その可能なる表現の方法において誤りを犯していたのである。/[中略]彼は、自分たちの前途が必ずしも明るいものでないことを認めた。「われわれは死ぬほかはないでしょう、結構、それでいい、日本の奴隷として生きるよりは、自由な人間として死ぬ方がよっぽどいい」。彼はそう言った。(『朝鮮の悲劇』)

 

(3)「機会と実力」

 吾人に機会がなくて成功できないのか、実力がなくて成功できないのか、曰く機会がなくとも成功し難いが実力がなくとも成功し難い。しかしすべからく実力が優先すべきである。何故そうなのか。たとえ機会があっても実力がなければ成功できないだろうし、また或いは成功したにしても、これは真の成功といえないからである。[中略]故に実力さえあれば機会なきは憂うるに足りないが、これと反対に機会に当たっていかに実力を求めても得られるものではない。故に実力がなければ機会があっても喜ぶに足りない。だから吾人は日に月に実力をのばし、実力準備をもって生命とすべきである。果してこの準備さえあれば機会をうることは難事ではない。もし然らざれば天がいかに好機会を与えても、人がいかに好機会を遺してもこれは無用の長物に過ぎない。ああ世に成功を希望する者よ、機会なきを憂えず、実力なきを憂うべきである。(『大韓毎日申報』1906年5月30日)