国連での朝鮮独立問題(テキスト:5−1 国連での朝鮮独立問題)


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(1)米国政府の国連提訴

a)第2次米ソ共同委員会(47.5.21〜)→事実上決裂(7.10)
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 米、国連事務局に朝鮮独立問題提訴を通告(9.17)←→ソ連反対(モスクワ協定に違反)
 モスクワ協定に基づく統一朝鮮の樹立を断念=国連での数の優位を頼んだ強引な行為

 国連、朝鮮独立問題を議題に含める決定(一般委員会:9.21。総会:9.23)→第1委員会に審議付託

b)第1委員会での審議

 米提案(10.17)
 1948.3.31までに南北で国連監視下での選挙実施→議会、政府樹立
 国連に臨時朝鮮委員会設置

 ソ連反対提案(10.28)
 朝鮮問題の審議に朝鮮人の代表招請→否決(10.30)
 1948年初めまでに南北朝鮮から占領軍が同時徹底、朝鮮人が自らの国民政府樹立の機会を与える→否決(10.28)

 米提案可決(11.5):ソ連など6カ国、採決に不参加

 

(2)総会決議112(U)の採択(1947.11.14)

 A(ソ連提案を米が修正):臨時朝鮮委員会を設置、国連に招請する朝鮮人の代表者選定を監視

 B(米提案をフィリピン・インド・中・仏が修正):1948.3.31までに政府樹立のための代議員選挙実施(代議員は臨時朝鮮委員会と協議)。政府樹立後、90日以内に占領軍は撤退。臨時朝鮮委は中間委員会(小総会)と協議可

 

(3)国連臨時朝鮮委員会(UNTCOK=United Nations Temporary Commission on Korea)の組織と活動

a)構成国

 オーストラリア、カナダ、中国、エルサルバドル、フランス、インド、フィリピン、シリアの8カ国(ウクライナは不参加)

 ダレス米国務長官が影響力行使

b)UNTCOK代表、ソウルに到着(1948.1.8)

 臨時議長メノン(インド)選出

 金日成北朝鮮人民委委員長、UNTCOKの38度線以北立ち入り拒否(1.9。ソ連も国連総会で拒否声明、1.22)→米は予測
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 南朝鮮だけの分断政府樹立へ

 

(4)中間委員会との協議と決議

 UNTCOK、中間委に北朝鮮からの立ち入り拒否を報告(1948.1.13)
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 中間委、UNTCOKとの協議問題を議題に取り上げ(2.19):この段階でメノン議長は南朝鮮単独政府樹立に消極的
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 中間委、米国案採択(2.26):UNTCOKに「立ち入り可能な限りの地域」(=南朝鮮)での選挙実施、監視を求める

 米、国連を利用して南朝鮮単独政府樹立をねらう
 カナダ、オーストラリアは反対。ソ連などはボイコット
 カナダはUNTCOKの活動を南朝鮮だけに制限できない、オーストラリアは分断を永久化するものと主張

 

(5)臨時朝鮮委員会での審議と決議

 UNTCOK、インド(議長)・カナダ欠席のまま、5.10までに南朝鮮のみの選挙実施を声明(1948.2.28)→カナダとオーストラリアが反対表明
 カナダはUNTCOKで正式決定されていない点、オーストラリアは朝鮮の政治勢力が極右を除きボイコットを表明している点(金九、金奎植も不参加表明)を理由に

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 中間委の決定をきわどく承認(3.12):賛成4、反対2、棄権2(批判的だったインドが賛成にまわる)

 南朝鮮での単独選挙とその監視が国連の正式決定となる

 

(6)評価

 米の強引な国連提訴=朝鮮民衆の意思に反する分断政府樹立を国連が決定
 米が冷戦に国連を巻き込み、国連が米の対ソ冷戦政策の一翼を担う
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 国連が韓国政府を合法化、正当化=冷戦期、国連の最大の過ち
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 南朝鮮では分断反対闘争の展開:2月ゼネスト(2・7救国闘争)、済州島4・3抗争、南北協商