1950年代の北朝鮮社会と金日成体制の確立
(1)朝鮮戦争と労働党の組織強化
a)労働党組織の弱体化・指導力低下
戦死者の増大(党員が最前線)
党組織部責任者=副委員長・許哥誼の党員資格を非常に狭く設定する方針
ミスをした者、米軍占領下で党員証を隠しなくした者など処罰
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b)労働党中央委員会第3回総会(三中総。1950.12)
「士気の衰え」「無秩序・非組織性・無規律性」を是正するため「党および国家の規律と軍規の強化」が決定
党組織の建て直しのため、党内の結束が求められ、異なる意見の存在が許されなくなる
軍事的失敗の責任を負わされ将官罷免、処刑
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c)四中総(1951.11)で具体化
金日成、党再建方針に反する「極左的行動」をとったとして、許哥誼の方針を批判。のち許哥誼、自殺
d)五中総(1952.12):「個人の利益追求」批判
副首相・朴憲永、党秘書・李承ら旧南労党系幹部が「アメリカ帝国主義のスパイ」として粛清→朴憲永処刑(1955.12)
事実上、朝鮮戦争失敗の責任をとらされた形
大量に党員拡大(1年間に50%増。100万人以上)、新党員はみな金日成に忠実→休戦後「プロレタリア独裁」確立
*党も完全に金日成の路線へ。地位・発言力は絶対的に
(2)復興援助と社会主義建設
a)著しい生産の減退
53年の工業生産は49年の64%(電力26%、製紙26%、水産24%、冶金10%。軍需産業のみ肥大化)。農業生産は76%(綿花23%、繭58%)
b)「経済復興3カ年計画」(1954〜):重工業の優先的発展
六中総(1953.8)で決定
ソ連・中国など社会主義諸国から約7億5000万ルーブルの無償援助
ソ連・東欧:設備・技術面(製鉄所・機械工場再建、都市の復興建設)
中国:現物供与(石炭・コークス・穀物・綿布・鉄道車両)
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急速に復興
c)農業集団化(1953〜):漸進的、比較的スムーズに
背景
[1]土地再分配への懸念
戦争で被災した農地37万町歩、所有者がいなくなったり、耕作できなくなった農地53万町歩。総耕地面積の4分の1
富農が増加し、農村の貧富差が拡大する恐れ。戦争で働き手を失った農家は、耕作能力に応じた分配に不利、零細な独立経営では没落の可能性
[2]農村の状況の変化=富農は0.6%まで減少、大部分の農家は零細な中農か貧農
多くの農民は戦争中の人手不足を補う「労力相互扶助班」「牛共同使用班」に加わる。外国製の大型農業機械を活用するためには小さな田畑の境界を取り除く必要
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58年に全農家の協同化が完了
同年末、各農業協同組合は里単位に統合。総数3843組合、1組合あたり平均戸数300戸、耕地面積500町歩
4割の貧農層が復興増産運動の先頭に立ち、協同化の実績を示しながら上層の農民を説得
*集団化に並行して農業生産も回復。56年に穀物生産高が朝鮮戦争前の水準を突破、機械化も進行
*問題点:穀物生産の伸びは増収の容易なとうもろこしの大量栽培、米穀の常食化は遠い先。58年末にも半分以上の農村が電気のない生活
(3)「自力更生」と千里馬運動
a)チュチェ思想の登場
休戦後、ソ連・中国に完全従属
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民族主義の強化:チュチェ演説(1955)
朝鮮革命は労働党の思想活動の主体。ソ連式でも中国式でもない、ウリ式で
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「主体」を確立するため、ソ連派・延安派批判
b)国際共産主義運動の分裂
ソ連、スターリン批判(1956.2)9)→対米平和共存路線へ転換→中国・北朝鮮は応ぜず
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スターリン批判を契機に、崔昌益・尹公欽ら延安派、朴昌玉らソ連派が、金日成個人崇拝批判→満州派の逆襲で失敗
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ソ・中、ミコヤン・彭徳懐を派遣、和解を勧告するが果たせず
ソ連派一部(500人)はソ連に帰り、延安派の一部は中国に亡命→粛清(投獄、処刑)
*満州派が党を完全掌握
c)千里馬運動
延安派の粛清→中国、不快感
中国、朝鮮駐留軍の全面撤退(1958)→北朝鮮は独力で韓・米に対峙
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「自力更生」
計画経済の前提整う=工業部門の国有化はほぼ完了(56年段階で、生産額の98%が国営工場)。農業も集団化終了(1958)
戦争のため深刻な人手不足、一方で増産目標がきわめて高く設定
生産計画を超過遂行、集団的に技術革新→社会主義競争運動
*大衆を最大限に動員、経済建設を急速度に進める
労働者が超過勤務で目標達成に貢献することが「社会主義的美徳」「国家に対する忠誠心」の証明
労働党中央委員会「最大限の増産と節約」呼びかけ…足りないものは探し出し、ないものは作り出す
降仙製鋼所(平安南道)「千里馬精神」で、年間6万トンの製鋼設備で2倍の鋼材を生産した成果が報告
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「千里馬運動」の開始(1956)=第1次5カ年計画(予定:1957〜61)の目標を達成するため
1960.8現在、8600余の作業班、千里馬運動に参加。5カ年計画、1959.6完遂
*重工業化(金属・機械工業の割合、49年:8%→60年:21%)。1960年に機械設備の国内自給率が91%、工業生産額が全生産額の71%
*韓国に対する相対的優位を誇示
計画経済の上に1党独裁がのっかるソ連型国家社会主義体制+民族主義(チュチェ)