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Tengyong's Taiwan Reports

No.8 (Jul. 11, 2004)  選挙雑感

雨上がりの台北の空に虹がかかりました。台湾大学正門付近にて。
台湾大学のキャンパスでときどきリスの姿を見かけるようになりました。
前回のレポートから思いがけず3カ月も間隔が空いてしまいました。5月に中国語クラスへの通学を切り上げてからは、主に図書館に通う毎日だったのですが、資料収集に集中しはじめると、どうもほかの仕事に取り組む意欲が薄らいでしまったうえ、インターネットへの接続に不具合が発生し、ホームページの更新作業が面倒になったことが原因と言えるでしょう。この間、訪問したところで撮った写真も未整理のまま、ハードディスクの中で眠っています。ちなみに中国語のほうは、期待したほど上達できなかったというのが正直なところですが、授業時間以外に中国語を話す機会がほとんどなかったので、やむを得ないかなとも思っています。まあ、焦らず趣味のつもりで今後も勉強を続けていけば、何かの機会にぐっと上達できるのではないかと、淡い期待も捨てきれないでいるのですが。
日本も一部は梅雨明けしたようですが、台北はもちろんもうすっかり夏です。こちらに来てずっとジーンズで通していたのですが、どうにも我慢できなくなり、台湾の人びとの装いをまねて短パンとサンダル履きで過ごすことにしました。快適です(^_^)。5月ころから30度を越す日々が続いていたにもかかわらず、台北ではなぜかほとんどセミの鳴き声を聴くことがないので不思議に思っていたのですが、7月に入ったあたりからようやく耳にするようになりました。いよいよ夏本番といったところでしょうか。
一方、先日は台風の影響で台湾中南部が記録的な豪雨に見舞われ、各地で大きな被害が出ました。南部のある地域では、たった3日間で1年間の降水量に相当する2000ミリの雨が降ったとのことです。開発と都市化が進む中で、台湾も日本と同様に、雨による被害が発生しやすくなっているようですが、今回の大雨で南部地方の水不足が一気に解消されたことは救いでした。
ところで今日は、日本では参議院議員選挙の投票日とのことです。2週間ほど前に、比例代表区については海外でも投票ができるようになっていたことを思い出し、話のタネに投票してみようと手続きを調べてみたのですが、選挙人登録を申請してから登録証が届くまで2〜3カ月もかかるそうで、これはとても間に合わないと断念しました。制度の内容を事前にきちんと知っていなかったことは確かに迂闊でしたが、これだけ通信網が発達している時代になぜそんなに時間がかかるのか、とても不思議です。
さて選挙と言えば、3月に実施された台湾総統選挙についてのレポートが宿題として残っていました。今回も別のところで書いたエッセーを流用する形になってしまいますが、ともかくこの度の選挙の感想を遅ればせながら書き留めてみましたので、お読みいただければ幸いです。
滞在期間も残り3カ月を切り、こちらで終えておくべき仕事をどのように仕上げようかと手順を算段しているところです。レポートもせめてあと2回程度は発信したいものだと考えています。
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現地で見た台湾総統選挙

高雄市内を流れる愛河。高雄市ではこの川沿い一帯を市民の憩いの場として整備を進めています。
古都・台南郊外の安平地区にある億載金城。清朝末期に建設された西洋式砲台をもつ要塞です。
勤務先から1年間の在外研究の機会を与えられ、昨年10月から台北に滞在している。研究上の目的をいろいろ述べることはできるのだが、何よりも朝鮮以外の日本の植民地支配を経験した社会に身をおくことで、自らの研究の方向を見つめ直したいという気持ちが強かった。台湾は庶民のバイタリティーがあふれる魅力的なところで、十数年前に留学した韓国での生活体験の記憶とも重ね合わせながら滞在を楽しんでいる。
印象的な出来事は数多くあるが、ここでは総統選挙をめぐる激しい政治闘争について感じたことを、覚え書きのつもりで記しておきたい。韓国で国会の大統領弾劾に対する抗議運動が盛り上がっていた今年の3月、台湾では総統選が行われ、民進党の現職陳水扁氏が国民党の連戦氏を僅差で破って再選を果たした。しかし投票日前日に遊説中の陳氏が狙撃されるというショッキングな事件が起こり、連戦陣営は選挙が不公平な条件のもとで実施されたとして敗北を受け入れず、野党支持者たちが総統府前道路に居座って激しい抗議活動を繰り広げる事態となった。狙撃事件の「真相」は、この原稿を書いている7月上旬の時点でも、まだ全く何も解明されていない。
実は私は前回の総統選(2000年)の折もたまたま台北に滞在しており、そのときの雰囲気と比べて台湾社会が様変わりをしたことを感じないわけにはいかなかった。
まず「台湾独立」を綱領とする民進党を支持した有権者が、総統選で初めて半数を超えた点である。前回当選した陳水扁氏の得票率は39.3%で、国民党の内紛・候補者分立による「漁夫の利」を得た側面は否定できず、立法院(国会)でも民進党は過半数に遠く及ばない少数与党政権であった。しかし今回は大激戦ながら、陳氏の得票率はついに50%に届いたのである。陳水扁政権のもとで台湾社会の「台湾化」は確かに加速したものの、かと言って性急に「台湾独立」をめざすような大胆な政策転換は行われず、大陸との経済関係もいっそう拡大した。これまで民進党への投票をためらっていた有権者も、今回は「安心」して陳水扁氏に票を投じたことが、こうした結果をもたらしたと言えるだろう。
しかし一方で前回のように、台湾の子・阿扁(陳水扁氏のニックネーム)を震源に台湾社会をおおった熱気とも緊張感ともつかない高揚した雰囲気を感じることはできなかった。国民党などの抗議行動に対して、陳水扁氏自身が積極的に事態収拾に乗り出すことはなかったため、人びとの関心はどうしても抗議活動の側に集中した。民進党の戦略は「我慢比べ」の結果として、陳氏の当選を既成事実化するうえでは有効であったかも知れないが、本来主役となるべき陳氏の影をまことに薄いものにしてしまった。気の早いマスコミは、人気の高い馬英九台北市長(国民党)を次回総統選の有力候補として報道することに、むしろ熱中しているように見える。
最後にテレビのニュースを見ていて、印象に残ったエピソードを一つ紹介しておこう。総統府前に居座った野党支持者たちが連日抗議集会を開く中、ある日なぜか民進党支持者と思しき中年女性が演壇に立ち、陳水扁氏を弁護する演説を行って聴衆の大顰蹙をかったことがあった。その女性は警官に保護されながらその場を立ち去ったのだが、憤懣やるかたなく女性を追っかけた聴衆の中から「あいつは日本人だろ!」という罵声が浴びせられたのである。
「台独派」の背後に日本がいる。少なくともそう信じている台湾人がいるらしい。このことは私にとってちょっとした驚きだった。台湾と日本との間の「ねじれた」関係は、朝鮮半島と日本との関係とはまた違った意味での複雑さをはらんでいることに、改めて気づかされた出来事でもあった。

(『青丘文庫月報』第190号、2004年9月発行予定)