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Tengyong's Taiwan Reports

No.6 (Mar. 13, 2004)  族群平等

街中で見かけた野党総統候補・連戦国民党主席の選挙運動カー。
韓国の国会が、盧武鉉大統領に対する弾劾訴追案を可決したとの衝撃的なニュースが伝わってきました。ここしばらく韓国の状況について情報収集を怠っていたうえ、台湾ではほとんど韓国の政治情勢に関する報道がないこともあり、思いがけない事態の進展に驚いています。
台湾で韓国に関するニュースを目にする機会はさほど多くないのですが、だからといって台湾の人々が韓国に関心がないかと言えば、必ずしもそうではありません。テレビドラマ「冬のソナタ」で日本でも人気を得た韓国の俳優・裴勇俊(ペ・ヨンジュン)が、先日、新作映画「スキャンダル」(台湾でのタイトルは「醜聞」)の宣伝キャンペーンで訪台した折には、台湾のファンから熱狂的な歓迎を受けました。宿泊先の超高級ホテル・圓山大飯店はVIP並みの待遇で彼を迎え、彼が客室で使ったバスローブだの、歯ブラシだのはオークションにかけられる模様です。ここ数年、韓国のテレビドラマがアジア諸国へ輸出される「韓流」現象が目立っていますが、台湾のテレビにも韓国ドラマは氾濫しており、台湾の人々の日常の娯楽の中にすっかり定着した印象があります。焼肉屋を中心とした韓国料理店も街中でごく普通に見られ、どのスーパーマーケットでも必ずと言っていいほど「泡菜」(キムチ)を販売しています。
さて韓国の大統領が最大のピンチに立つ一方で、台湾では総統選挙が秒読みの段階に入っています。ご存じのように今回の総統選は、民進党の現職=陳水扁総統と呂秀蓮副総統に対し、野党の連戦・国民党主席と宋楚瑜・親民党主席が正副総統候補として挑む、文字通りの一騎打ち(二騎打ち?)です。この間の世論調査の結果は、僅差で野党側の支持率が上回るケースが多いようですが、ほとんど誤差の範囲に過ぎず、情勢は互角と見られます。総統選は賭博のネタにもなっていて、胴元の掛け率は1対1とのことです。
国家元首を選出する選挙は、どこの国でも大衆動員をかけたお祭り騒ぎのような選挙運動になるのでしょうか。とくに台湾現代史最大の悲劇である二・二八事件の記念日には、投票日が20日後に迫ったこともあり、台湾人のナショナリズムに訴える大規模な大衆動員が展開されました。日本でも報道されたはずですが、2月28日の午後2時28分には、北の基隆から南の屏東まで「人間の鎖」をつくるという「百万人手護台湾」運動が繰り広げられ、200万人以上が参加したと伝えられました。このイベントの表向きの理由は中国のミサイル配備に反対するというものですが、これが陳水扁陣営の選挙運動の一環であることは疑う余地のないところです。野党側ではこの「手牽手」に対抗して「千万人心連心」と名づけた聖火リレーを実施し、やはり2月28日にこれを締めくくりました。両陣営とも躍起になって、自らがいかに台湾を愛しているかを宣伝しあっている状況です。
*光復後、大陸から乗り込んできた国民党政権の腐敗に不満を募らせていた台湾民衆は、1947年2月27日夕刻、台北で闇タバコ売りの女性が取締の警官に殴打された事件を契機に怒りを爆発させ、翌28日より各地で反国民党の大衆暴動が起こりました。しかしこの大衆運動は、大陸から急派された国民党の軍隊により残酷に弾圧され、以後、台湾人の国民党政権に対する不信感は決定的になったと言われます。この「二・二八事件」の犠牲者に対しては、1995年に当時の李登輝総統が国家元首として公式謝罪し、のちに遺族や被害者に対する補償法も制定されました。
安直な比較は禁物と自らを戒めながらも、こうした「台湾ナショナリズム」の高揚現象を、私は十数年前に留学していた時期の韓国の雰囲気と、つい比べて考えてしまうことがあります。私が留学していたころの韓国社会は、今にして思えばまさにナショナリズムの全盛期でした。もちろん韓国のナショナリズムにもいろいろな側面があり、それを一括りに論じるのはとても乱暴なことなのですが、当時の公式的なマスメディアなどでしばしば見られた「韓国の愛し方」は、韓国がいかに優れた国であり国際的に認められているか、あるいは韓国の国民がどれほど優秀であるか、などを言い立てる――そんな印象が残っています。
それに比べると台湾ナショナリズムの言説は、「手護台湾」とか「台湾 YES」「台湾加油(頑張れ)」といったスローガンに見られるように、台湾の「生存」自体を訴えかけるものが多いようです。それはもちろん台湾ナショナリズムにとっての最大の障害物である大陸(中国)を意識してのことですが、台湾社会や台湾人の「優秀性」を声高に主張するような論調は、今のところほとんど見ることがありません。
しかし台湾のナショナリズムがいかに「控え目」なものであったとしても、それが排外主義の陥穽にはまる危険性をはらんでいることも、感じないわけにはいきません。とくに台湾社会のマジョリティーでありながら、「外省人」の国民党政権のもとで長く冷遇、迫害されてきた閩南系台湾人の立場で考えると、「台湾ナショナリズム」は容易に「閩南ナショナリズム」に転化しそうで、いささか気にかかるところではあります。
*「外省人」とは第2次大戦後に中国大陸各地から移民した「新住民」を指します。もちろん漢族が圧倒的多数を占めています。
陳水扁総統・呂秀蓮副総統の選挙運動カー。
昨年の秋、台湾では南部を中心に「非常報導」と名づけられたVCD(ビデオCD)が大量に出回り、社会的に大きな波紋を呼んだことがありました。野党の副総統候補・宋楚瑜氏らを痛烈に揶揄し批判する内容のもので、出演した女優の一人は脅迫され自殺に追い込まれる事態にまで至っています。今年に入ってからも主演男優がアメリカに逃亡するなど、波紋は今も尾を引いています。
なぜ宋楚瑜氏が批判の標的にされたかと言えば、それは彼が「外省人」だからと考えざるを得ません。「閩南ナショナリズム」の高まりは、それがマジョリティーであるがゆえに、一歩足を踏み外せば「外省人」排斥にその矛先を向けそうな危うさを内包している気がしてならないのです。(もちろんその背景にある彼ら/彼女らが経験した歴史的苦難については、いくら強調しても強調しすぎることはないのですが。)
近年、台湾では自らの社会構成を考えるための道具立てとして「族群」(エスニック・グループの訳語)という概念が定着しており、先の「外省人」「閩南人」に「客家人」と「原住民」を加えて、一般に「四大族群」と言いならわされています。(「外省人」に対して、植民地時代までに台湾に移民し定着した漢族=「閩南人」「客家人」と「原住民」を合わせて「本省人」とも称されます。)
過熱する選挙運動が族群間の反目・不信を増幅しかねないことは、当然のことながら台湾社会の中からも憂慮する声が上がりました。今年の1月には、二・二八事件をテーマとする秀作映画「悲情城市」の監督として知られる侯孝賢氏が呼びかけ人となって、「族群平等行動聯盟」という知識人の団体が旗揚げしています。「族群平等行動聯盟」は政治的中立を掲げつつも、族群対立を煽るような言動に対しては、随時、態度表明を行う方針を明らかにし、実際に2月28日のデモンストレーションに先立っては、両陣営に中止を要請しました。侯孝賢氏は記者会見で、二・二八は悲劇の記念日であって祝典ではない、反省の念をもって静かに迎えるのが正しい態度であり、二・二八を利用して大衆を選挙運動に動員すべきではないと述べています。
二・二八の2つのデモンストレーションは予定通り実施されましたが、「族群平等行動聯盟」の主張する「正論」には、両陣営ともある程度配慮せざるを得なかったようです。と言うのは、テレビの画面で見る限り、最近の選挙集会では、種々のスローガンに混じって「族群平等」の語も舞台に登場するようになってきたからです。「百万人手護台湾」運動の総本部会場となり、陳水扁、李登輝の現前総統が手をつないだ苗栗のステージには「牽手護台湾」と「族群大団結」の2つのスローガンが掲げられました。一方、野党陣営では「われわれの血は混じり合っている」と族群和解を象徴する献血運動を行い、1万袋以上を献血したということです。
台湾の将来がどうあるべきかについては意見が違っていても、「族群平等」の理念に対して、表立って反対する政治勢力が存在しないことは救われる思いです。少なくとも、自国の過去の過ちを冷静に見つめようとすれば「自虐的」「サヨク」などと非難されるどこかの国よりは、はるかに健全な社会のように思われます。
思い起こせば、2000年に行われた前回総統選の折にも、私はたまたま台北に滞在していました。2回続けて総裁選の現場に立ち会えるのは、まさに幸運と言うほかないのですが、4年前の政権交代を台湾の人々がどう総括することになるのか、何やら私まで緊張した気分になってきました。
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台湾大学は、実はツツジの名所でもあります。この春に撮影したツツジの写真は、Taiwan's Portraits のページに掲載する予定ですが、とりあえずその一部をここでご紹介することにしましょう。