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Tengyong's Taiwan Reports

No.3 (NOV. 22, 2003)  加油中華

対韓国戦に勝利した翌日の台湾大学学生食堂伝言板。「アテネへ前進!」「中華隊がキムチを平らげた!」などの書き込みが躍っています。
対日本戦に惨敗した翌日の新聞。見出しは「泣くな!まだ希望はある」。
前回のレポートをお届けしてから、はや1カ月が経とうとしています。台湾の天候は相変わらずで、11月と言うのにいまだ30度近くまで気温が上がる日があります。ただ日ごとの気温差が激しく、体調を整えるのが結構難しいため、こちらに来て初めて軽い風邪をひいてしまいました。また11月も後半に入ると、それまでの抜けるような青空は見られなくなり、どんよりとした曇り空の日が多くなってきました。台湾北部の冬は雨が多いそうですので、ことによると、これは台湾の「冬」の訪れを告げているのかも知れません。今月初めには中野前学部長が出張で来台された折に、食事に誘って下さいました。ご自身がお忙しい中で気にかけて下さり、感謝しています。
さて前回のレポートでは、双十節に関連して、台湾人の国家への帰属意識について感じたことを少し書きました。しかし改めて言うまでもなく、この問題は私のような台湾の事情に疎い者が、訳知り顔で語れる類のものではない、深刻な事情を抱えていることは、幾重にも確認しておかなければなりません。
一般に、台湾に旅行したことがあったり、台湾人と話す機会のある日本人は、台湾人は中国から独立を望んでいるかのごとく語るケースが多いように見受けられます。しかし私の見るところ、日本語を話し、日本とのつながりを求める台湾人の中に、台湾独立を志向する傾向が多く見られるのであって、そのような人たちの意見が台湾社会全体の意識を反映しているとは、必ずしも言えないように思います。またかつての台湾民主化運動と「台湾独立派」を、オーバーラップさせて解釈している日本人も多いようです。
ところが実際の台湾社会の雰囲気は、なかなか微妙です。来年(2004年)の総統選挙に関連して、先ごろ『中国時報』が行った世論調査では、「台湾共和国」という新国家を樹立することに賛成する人は19%(大いに賛成10%、どちらかと言えば賛成9%)、反対は53%(あまり賛成しない26%、絶対反対27%)で、積極的な「台独派」は少数にとどまっています。またこの調査によれば、自らを「台湾人」と考える人は37%、「中国人でもあり台湾人でもある」とする人は48%、「中国人」とする人は8%となっています(『中国時報』2003年10月27日)。
こうした世論調査をもとに台湾人のナショナル・アイデンティティを分析する研究は、当然、台湾で行われており、1990年代以降の調査結果については若林正丈氏の著書の中で紹介されています(若林正丈『台湾――変容し躊躇するアイデンティティ――』ちくま新書、2001年)。台湾民衆のナショナル・アイデンティティは、若林氏の著書の副題のように「変容し躊躇する」状況にあると見るべきではないでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたが、11月初めに札幌で開催されたアジア野球選手権大会をめぐる台湾社会の反応などは、こうした台湾民衆の「変容し躊躇するアイデンティティ」を示す一例かも知れません。ご存じのように、台湾チームは日本に敗れはしたものの、韓国・中国を破ってアテネ・オリンピックの出場権を獲得しました。台湾のマスコミは非常な関心を持って、早くから来日して大会に備える代表チームの様子を報道し、野球ファンは1千名以上と言われる大応援団を結成して札幌に乗り込みました。
台湾チームの呼称は、アジア野球選手権大会の公式サイトでは "Chinese Taipei" という奇妙な表記ですが、台湾のマスコミは一貫して「中華隊」と呼び、これを「台湾隊」に改めようという意見を聞くことはありませんでした。(ちなみに中国チームは「大陸隊」でした。)「中華隊」のシンボルは「中華民国」の国旗である青天白日旗であり、札幌の応援団も、台北のテレビ観戦者もこれを手に持ち、顔にペイントしました。札幌に行った応援団には立法委員(国会議員)も参加していましたが、その中には「台独派」であるはずの民進党議員も含まれていました。大会の期間中は、どのようなナショナル・アイデンティティの持ち主であれ、建前上は「加油(がんばれ)、中華隊!」と応援していたわけです。
そして初戦で韓国に劇的な逆転勝ちを収めると、興奮は一気に最高潮に達し、全島が熱狂することになりました。翌日の台湾大学の学生食堂では、韓国に勝ったお祝いとして、利用者にみかんが1個ずつサービスされました。私などは無粋にも、まだオリンピック出場が決まったわけでもないのに、喜び過ぎではないかと思ったほどです。多くの大学では、対韓国戦のテレビ中継を見る場が学内に設定されなかったため、翌日の対日本戦では急遽、講堂などが開放されて実況中継がスクリーンに映し出されました。大会の最終試合で日本が韓国に勝ち、台湾のオリンピック出場が決定した瞬間、テレビ画面には日韓戦の結果とは無関係に「おめでとう、中華隊」の文字が躍りました。
スポーツがナショナリズムを高揚させるうえで、重要な役割を果たすことは、改めて指摘するまでもありませんが、野球は台湾が世界のトップレベルにある、さほど多くない競技の一つであることが人々の興奮を誘ったようです。とりわけ「中華隊」のオリンピック出場は、意外にも12年ぶりとのことですから、台湾の人々が熱狂するのも無理からぬことかも知れません。野球ファンの掲げる応援プラカードの内容も次第にエスカレートし、「日本の寿司を平らげよう」「韓国キムチを食ってやった」などはご愛敬として見ていたのですが、絶対に負けられない最終戦となった対中国戦の報道で「反攻大陸」「剿共」といった穏やかならぬ文字を見た時は、さすがにぎょっとしました。
台湾の若者たちは、何の屈託もなく――ひょっとすると何の違和感もなく――自らの所属する「台湾」という共同体の象徴として「中華民国」の国旗を掲げ、「反攻大陸」「剿共」を叫んでいるように見えました。翻って、昨年のサッカーのワールドカップの時に、それこそ何の屈託もなく、日の丸を掲げ、君が代を歌う日本の若者たちと、どこが同じで、どこが違うと言えるのでしょうか? よく分からない、というのが正直なところです。
「祭り」は終わりましたが、その後台湾の英雄である王貞治監督率いる「大栄鷹」(福岡ダイエー・ホークス)が来台したこともあって、野球への関心はしばらく続きました。かつての郭泰源や郭李建夫のような快速球を投じるピッチャーが今回いないことは残念ですが、来年8月のアテネ・オリンピックの期間に台湾にいられることは幸運です。台湾の人々が、大陸からの圧力の下で、自らが国際社会の一員として認定されていないと苛立ったとしても、決して不思議ではありません。オリンピックはそのような「苛立ち」を解消する場となるのでしょうか。「中華隊」の活躍ぶりをしっかり見ておきたいと思います。
最後に、この1カ月間に撮った写真の一部をご紹介します。もっとご覧になりたい方は、Taiwan's Portraits のそれぞれのページをご覧いただければ幸いです。
旧台北城の北門は元来の姿が残っている唯一の城門です。 北門の向かい側にある台北郵局。日本統治時代の1929年に台北郵便局として建造された建物です。 台湾大学の厚生施設・小福楼は11月中旬に書店がオープンし、建物の改装が終わりました。
台北市立動物園の台湾黒熊。 同じく台北市立動物園の赤頸鶴。いずれも台湾固有の種とのことです。 植民地時代に日本人街が形成されていた西門付近は、すっかり若者の街に変貌しました。
植民地時代には「八角堂」と呼ばれていた紅楼劇場。 植物園内の模様。敷地内には国立歴史博物館などがあります。 国立歴史博物館入口付近の池にて。