「朝鮮」観の今日的状況

朝鮮半島の二つの国家

最近、世の中には「韓流」という言葉が氾濫しています。テレビでは毎日のように韓国ドラマが放映されていますし、韓国の映画やポップ・ミュージックも若者たちに大変人気があるようです。私はこの隣国の歴史を20年以上勉強してきた者ですが、韓国の大衆文化が日本でここまで広く人気を集めるとは思いもよらないことでした。芸能関係だけでなく、すでにキムチや焼肉などの食べ物はすっかり私たちの食生活の中に溶け込んでいますし、サッカーや野球、ゴルフなどスポーツ界で活躍する韓国選手のファンも多いようです。海外旅行先としても、交通機関や宿泊・レジャー施設はもちろんのこと、都市機能が整備され、治安もよい韓国は、いまや日本人が最もリラックスして過ごせる国の一つと言えるでしょう。

しかし一方で、同じ朝鮮半島の北側に位置する朝鮮民主主義人民共和国への評判は、現在、最悪と言っていい状況です。いわゆる拉致問題や核開発疑惑、食糧危機と経済政策の失敗、そしてそれらの根源にある独裁的な政治体制など、悪いニュースばかりが日本には伝えられています。

言うまでもないことですが、韓国(正式名称は「大韓民国」)と朝鮮民主主義人民共和国の国民は、ともに朝鮮民族がほとんどを占めています。朝鮮半島は7世紀に新羅という王朝により統一されて以来、高麗、朝鮮(李氏朝鮮)と続く王朝国家のもとにありました。20世紀に入ってから、不幸にも日本の植民地支配を受けましたが、日本の敗戦により1945年には植民地支配から解放されます。しかし日本の植民地であったがゆえに、朝鮮半島は戦勝国であるアメリカとソ連によって南北に分割占領され、1948年に南は大韓民国、北は朝鮮民主主義人民共和国という二つの国家として独立することになりました。もともと一つの国家であったものが、日本の植民地支配と米ソの対立によって分断され、今日に至っているわけです。

二つの国の住民は同じ言語を話し、国家は違っても一つの民族共同体と意識されていますから、分断国家体制は「不正常」な状態と認識されています。このことは南北を問わず朝鮮民族にとっては自明のことなのですが、国家の分断からすでに60年を経過した今日、日本ではこうした理解が次第に希薄になっているようです。私は朝鮮半島の歴史、朝鮮民族の歴史を勉強してきた者として、韓国と日本の関係だけでなく、朝鮮民主主義人民共和国と日本との関係も良好であることを望んでいますが、残念ながら今日の状況は、こうした願いとはほど遠いものがあります。ただ、かりに国と国との関係がよくないにしても、個人と個人との関係で韓国人・朝鮮人と日本人が親交を深めていくことは大切だと思いますし、またこうした個人レベルの関係の積み重ねがあってこそ、国と国との関係もよい方向へもっていけるのではないでしょうか。国家間の関係によって、たとえば日本に住んでおられる韓国人・朝鮮人の方々が、いわれのない不利益を被ることがあるならば、日本社会や日本人に対する信頼は大きく損なわれることでしょう。ここではいま日本社会に流通している「朝鮮」という言葉のイメージを手がかりとして、私たちが隣国の人びとと望ましい関係を築くために、みずから襟を正すべき課題を考えてみたいと思います。

「朝鮮」のニュアンス

私はこの文章で、ここまで「朝鮮民主主義人民共和国」と、かの国の正式名称を用いてきました。その理由はのちほど詳しく述べますが、簡単に言えば、この国を「北朝鮮」と呼ぶことに少なからぬ違和感があるからです。「朝鮮民主主義人民共和国」という国名の中に「北」という文字はありません。したがって「北朝鮮」という呼称は「略称」と言うより「俗称」と言うべきものです。もちろん俗称が必ずしも悪いというわけではありません。かつてドイツが東西に分断されていたとき、日本では「東ドイツ」「西ドイツ」という俗称を使っていましたが、そのことにとくに問題があったとは私も思っていません。ただ朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼ぶ方法にしたがうならば、大韓民国は「南韓国」「南韓」などと呼ばなければならないはずですが、日本ではこうした呼称は使われていません。(韓国ではみずからが分断国家の一方であることを意識的に強調する場合「南韓」という語を使用するときがあります。)大韓民国の場合は「韓国」という「略称」を使うのに、朝鮮民主主義人民共和国の場合はなぜ略称ではなく、「北朝鮮」という「俗称」を使っているでしょうか。まず、そのあたりの事情から考えてみましょう。

朝鮮民主主義人民共和国の略称としては「朝鮮」を使用するのが最も自然でしょう。実際、朝鮮民主主義人民共和国政府はみずからを「朝鮮」(朝鮮語音では「チョソン」)と呼んでいます。しかし厄介なのは、日本で「朝鮮」と表記すれば「朝鮮半島」「朝鮮民族」のように、韓国も含めた南北全体を指す場合も多いということです。そうした使用例との誤解を避けるため、「北朝鮮」という俗称が通用してきたのも、ある意味やむを得ないことでした。私自身も違和感をもちながらも、状況によっては便宜上「北朝鮮」という語を使ってきましたし、今後もやむを得ず使うことがあるでしょう。

もう一つ見過ごせないのは、「朝鮮」=「チョーセン」と発音されたときの日本語音のイメージです。学生のみなさんの中にはピンとこない人がいるかもしれませんが、かつて日本人が「チョーセン」または「チョーセンジン」(朝鮮人)と言ったとき、そこには微妙な――ときには、あからさまな――侮蔑のニュアンスが含まれる場合がありました。「朝鮮」という言葉自体に否定的な意味など全くないにもかかわらず、こうした侮蔑的なニュアンスが発生したのは、植民地支配にもとづき現実に存在した差別・被差別の関係によるものでした。日本人が朝鮮・朝鮮人を侮蔑的に語る文脈で使用されていたがゆえに、「チョーセン」「チョーセンジン」は差別語になってしまったのです。

そしてこうした差別語としての「チョーセン」の記憶は、朝鮮民族の側にも継承されています。たとえば植民地時代を背景とする韓国のドラマでは、当然のことながら日本人が多数登場しますが、普通は韓国人の俳優が演じ、台詞もほとんどすべてを韓国語(朝鮮語)でしゃべっています。しかし警察官・憲兵・役人など庶民への抑圧者として登場する日本人には、「朝鮮人」に相当する台詞だけ、わざわざ「チョーセンジン」と日本語音で言わせる場合がよくあるのです。「チョーセン」という言葉は、いまだに日本人の差別意識の象徴として、朝鮮民族に記憶されているのです。

「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」という表記をめぐって

ところで3年ほど前に、朝鮮民主主義人民共和国に対するマスコミ各社の表記方法が変わったことにお気づきでしょうか。時期としては、2002年暮れから2003年初めごろに集中的に実施されたようなのですが、従来の「朝鮮民主主義人民共和国」と「北朝鮮」を併記する方法から「朝鮮民主主義人民共和国」が消え「北朝鮮」だけを単独で使用する方法に変わったのです。

たとえば朝日新聞の場合、2002年12月28日の「おことわり」という小さな記事で、それまで「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と表記していたのを「北朝鮮」という呼称に変更すると述べています。NHKの場合も、従来、ニュースなどでは「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と呼んでいたのを、2003年1月1日より「北朝鮮」だけに変更しました。その他、2003年1月には日本経済新聞も同様の措置を取っています。また以前はすべての記事で初出の際に正式国名を使用していた原則を、全ページの中で1カ所だけ使用する方針に変更した新聞社も多く、北海道新聞は2002年9月に、毎日新聞は10月に、共同通信・東京新聞・中日新聞・西日本新聞などは2003年1月に、こうした措置をとったそうです(『朝日新聞』2003年1月9日)。表記方針変更の時期は、2002年9月に日朝首脳会談が開かれたのち、いわゆる拉致問題で朝鮮民主主義人民共和国に対する非難が高まっていた時期と重なっています。(その他のマスコミのうち、すでに産経新聞は1996年に、読売新聞は1999年に「北朝鮮」に一本化していました。)

朝日新聞によれば、変更の理由は「北朝鮮という呼称が定着したうえ、記事簡略化も図れる」からだということです。確かに「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」といった長い正式名称と俗称の併記はわずらわしい印象があり、朝日新聞の「記事簡略化も図れる」という説明にも一理あるように思われます。

ではマスコミ各社は、なぜ長い間こうした「わずらわしい」表記を使用してきたのでしょうか。マスコミがこの方針を採用したのは、1971年の札幌冬季プレオリンピックのときだそうでから、すでに30年以上も続いていたことになります。マスコミが長期にわたってこうした慣習を続けてきたのには、それなりの理由があったはずではないでしょうか? そしてその理由は、もはやなくなったと言えるのでしょうか?

戦後の日本で、分断された朝鮮の南北両国家を指す呼称としては、当初「南鮮」「北鮮」という言い方が多く用いられました。朝鮮を「鮮」一字で省略する方法は、植民地時代に日本人がつくり出したものです。現在のように「朝」の字を使用しなかったのは、「朝」には「身分の高い人に会う」という意味があり、そこから派生して日本に来る意味として用いられる場合があったからです。たとえば「帰朝」と言えば外国から日本に帰ってくることでしたし、「来朝」とは外国人が日本を訪問することを意味しました。そこでおもに文章語で、朝鮮北部地方は「北鮮」、朝鮮に帰ってくることは「帰鮮」、朝鮮人は「鮮人」などと省略されるようになったのです。最近の研究によれば「鮮」という省略方法自体に、差別的な意図はなかったようですが、これも「チョーセン」の場合と同様に、使用する側の侮蔑意識が「鮮」に否定的ニュアンスを付け加えていくことになりました。とくに「鮮人」は蔑称として朝鮮民族の側から強い反発がありました。どうしてわざわざ「朝鮮人」の頭を取って「鮮人」と呼ばなければならないのか、朝鮮人には頭がないという意味か、という不快感からです。そこで戦時中の新聞などでは「鮮人」にかわって「半島人」などという呼称が使用されたこともありました。

さて戦後しばらく使用されていた「南鮮」「北鮮」という呼称のうち、「南鮮」は大韓民国との関係の深まりを背景として「韓国」という呼び方へ次第に代わっていきました。こうして1960年代ごろになると、おもに「北鮮」という呼称だけが残ることになったのです。しかし「北鮮」につきまとう差別的ニュアンスから、在日朝鮮人の民族団体である朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)はマスコミ各社に対してこの語を使用しないよう求めていました。朝鮮総連の立場では、朝鮮民主主義人民共和国の略称は「朝鮮」であるべきなのですが、先にお話ししたように「チョーセン」という音にも不快感があるため、一時「チョソン」という朝鮮語音読みの代案を提案していたこともあります。しかしこれも日本人にはなじみが薄いということで、結局、正式国名が最も妥当ということになっていったようです。

こうして1971年の札幌冬季プレオリンピックのとき、朝鮮民主主義人民共和国政府はオリンピック組織委員会に対して、正式国名で呼ぶよう申し入れを行うことになりました。これを受けて日本新聞協会加盟各社は、記事の初出では併記、2度目や見出しは「北朝鮮」とする方針で統一することにしたのです。「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」という一見わずらわしい表記は、こうして生まれたものでした。

このような経緯があるにもかかわらず、今になって「北朝鮮」という表記に一本化されてしまったことを、私は残念に思っています。このわずらわしい表記方法には、1971年当時のマスコミ関係者の精一杯の知恵と誠意が込められている気がするからです。国家間の関係が良好とは言えない状況にあるからこそ、政府とは違う観点から、さまざまな関係改善の方法を提案することこそがジャーナリストの役目ではないでしょうか。朝鮮総連は朝日新聞社の措置に対して「国家の呼称問題は、決して慣習や便宜上の問題ではなく、その国の主権と権威を尊重するか否かの重大な外交問題」と指摘したうえで、次のように抗議しています。

1970年代、冷戦下で朝・日関係が非常に厳しい状況にあったにもかかわらず当時の心あるジャーナリストたちは朝・日友好の思いから、われわれ朝鮮総聯関係者と相談しながら正式名称である「朝鮮民主主義人民共和国」の併記を実現させました。貴紙の今回の決定は、正確な現実を読者に伝え、朝・日関係改善に少しでも役立てようとした彼らの良心と貴重な過去の結実さえも踏みにじることになります。(『朝鮮新報』2003年1月24日)

このたびの表記変更問題に関する限り、私はこの朝鮮総連の言い分に道理があると思います。マスコミ各社の措置は、日本に敵対するこの国に対して、もはや配慮する理由はなくなったということなのでしょうか。

大学教育の中の「朝鮮語」

私が「北朝鮮」という呼び方に違和感を覚えるのは、以上のような理由からですが、一方で、最近、日本の一部では「朝鮮」を短絡的に「北朝鮮」と読み替えて理解する傾向があるようです。それが朝鮮民主主義人民共和国の立場を尊重して使用されるのならよいのですが、実際のところ「北朝鮮」に対する反感が「朝鮮」という語に向けられている印象があるのです。その一例として、言語の呼称をめぐる最近の動きについて考えてみましょう。

南北両政府の国語政策の違いにより綴字法などに若干の違いはありますが、両国で使用される言語は基本的に同一です。そして「朝鮮半島」「朝鮮民族」と同様に、かつて日本で隣国の言語を指す場合は「朝鮮語」と呼ぶのが一般的でした。もちろん韓国出身の方は「韓国語」と呼んでいたのですが、日本で南北全体を指す場合は「朝鮮」が適切だという認識から、おもに「朝鮮語」が使用されたわけです。いまから約20年前の1983年度の調査によれば、日本の大学457校中、この隣国の言語を開講していたのはわずか47校で、全体の1割に過ぎませんでしたが、そのうちの83%にあたる39校が「朝鮮語」という科目名を採用していました(その他、「韓国語」が5校、「コリア語」が3校)。

しかしこうした状況は、韓国と日本の関係が飛躍的に密接になったことにより、大きく変化しました。一昨年(2003年度)の統計によれば、開講大学は335校と20年間に7倍以上も増え、全体大学(702校)中の47.7%を占めるまでに至っています。いまや日本の大学の半数近くで、この隣国の言語が学べる状況になっているのです。ちなみに本学の場合は、1996年度に経営学科で「朝鮮語」が開講されたのを皮切りとして、現在は人間環境学部、経営学部、経済学部の全学科で「朝鮮語」科目が開講されています。

そして注目されるのは、開講大学数の急増とともに、科目名の割合が変化したことです。2003年度の場合、「韓国語」が111校で33.1%、「朝鮮語」は93校で27.8%、その他「ハングル」が48校で14.3%、「コリア語」が26校で7.8%の順になっており、「朝鮮語」はすでに「韓国語」に首位を譲っているのです。「朝鮮語」が避けられる傾向は、短大や高校などではより顕著で、同じく2003年度の調査では、短大(高等専門学校などを含む)では開講校75校中、韓国語34校(45.3%)、ハングル16校(21.3%)、朝鮮語8校(10.7%)の順でした。高校の場合、少し古いデータになりますが、2001年度の開講校は全国に168校あり、ハングル59校(35.1%)、韓国語38校(22.6%)、朝鮮語29校(17.3%)、韓国・朝鮮語28校(16.7%)となっています。

このうち「ハングル」は文字の名称ですので、言語の呼称としては本来適切ではないのですが、1984年に開講したNHKの語学講座が「ハングル講座」と名づけられたため、それにならったものと言えます。NHKの決定は、この当時「朝鮮語」「韓国語」双方に反対意見があったため――韓国のマスコミは「チョーセン」に差別的なニュアンスがあるなどの理由で反対しました――やむを得ず取られた措置でした。そしてそれから約20年を経た2002年には、この言語が大学入試センター試験に導入されましたが、韓国との関係に配慮して科目名は「韓国語」となりました。日本社会の中で「朝鮮語」を学ぶ人が急増する一方で、「朝鮮語」という呼称は急速に影が薄くなっているのです。

南北全体を指す普遍的な呼称として「朝鮮」以外に適当な代案が見当たらない現状では、私個人としてはやはり「朝鮮語」という呼称が最も適当だと考えています。しかし「韓国で使用されている言語」という意味で「韓国語」という語が用いられている場合、これをあえて「朝鮮語」と言い替えることには、率直に言ってためらいがあります。また実際、日本で教えられている内容は、韓国の綴字法などにもとづくケースが圧倒的多数ですので、「韓国語」と言うほうが正確だという意見も成り立つと思います。

ただ気になるのは、「朝鮮語」が使用されなくなった背景に、「北朝鮮」の否定的なイメージを避けようという意識がはたらいていると思われることです。そうした事例を、私は実際にいくつか耳にしたことがあるのですが、「朝鮮語」が南北双方で使われている言語であることを伝えないまま、「韓国語」を「朝鮮語」とは別個の言語であるかのように扱うことには、私は賛成できません。国と国との政治的関係から言語の呼び方を変えるというのは、研究や教育の立場からすれば、好ましい現象とは言えないでしょう。

「韓国語」という科目名を採用した際、私がとくに懸念するのは、授業の中で朝鮮民主主義人民共和国について触れることが、ほとんどなくなってしまうのではないかということです。「朝鮮語」という科目名を使えば、教員は「朝鮮語」とは何か、なぜ「朝鮮語」と呼ぶのかというところから話をはじめなければならず、学生はこの言語を学ぶ意味を考える機会をもつことになることでしょう。しかし「韓国語」ならば「韓国で使用されている言語」という了解のもとに、この言語をとりまく複雑な状況に、あえて思いをめぐらす必要はなくなってしまいます。

言語学習の目的は、たんなるコミュニケーション手段の習得にとどまらず、その言語を使う民族の文化や歴史を知り、そうした理解を通じて友好関係の根を育てるところにあるのではないでしょうか。「朝鮮語」という呼称が消えていくことによって、この言語を使用する人びとの半分が学習者の視界から消えていくことになるのではないか、私はそんな不安な気持ちを抱いています。

「北朝鮮」国籍という誤解

「朝鮮」を単純に「北朝鮮」に結びつける「誤解」の例を、もう一つ紹介しておきます。2004年11月、公明党が国会に提出した永住外国人地方参政権付与法案に関連して、産経新聞は次のように報道しました。

同党[公明党――引用者]でこの問題で最も熱心なのが冬柴鉄三幹事長。冬柴氏は十二年五月の倫選特委で法案の提案理由を「在日韓国(人)など特別な歴史的背景のある人々に対しては、その人たちが望むならば限りなく日本国民に近い扱いがされてしかるべきだ」と説明。国交のない北朝鮮国籍の永住外国人は対象外とすることや、多数の地方議会が行った地方参政権付与を求める決議も強調している。(『産経新聞』2004年11月16日、下線は引用者)

この記事では「在日韓国人」と区別して「北朝鮮国籍の永住外国人」が日本に存在するかのように記述していますが、現在の日本の法制度のもとでは「北朝鮮」国籍の所持者は存在しません。なぜなら日本は今日まで朝鮮民主主義人民共和国と国交を結んでおらず、「北朝鮮」を正式な「国家」として認めていないのですから、日本政府が「北朝鮮」国籍を認めることなどありえないのです。ではここでいう「北朝鮮国籍の永住外国人」とはどういう人びとのことを指すのでしょうか? 事情は少し複雑ですが、大切なことなので説明しておきたいと思います。

日本に3カ月以上滞在する外国人は、市町村役場で外国人登録を行わなければならず、登録の際には申請書に「国籍等」を記入する必要があります。ところで現在、日本には外国人登録証の「国籍等」欄に「朝鮮」と記載されている人びとがいます。産経新聞の記事はこうした「朝鮮」籍の人びとを「北朝鮮」国籍と誤解したものです。しかしここでの「朝鮮」は朝鮮半島出身者という意味であって、「北朝鮮」国籍という意味ではないのです。

日本の敗戦で植民地支配から解放された朝鮮半島の人びとは、当然のことながら日本国籍から離れることになりました。1947年5月、日本政府は外国人登録令を制定し、日本に在住する朝鮮半島出身者も外国人として取り扱う措置をとります。ところがこのとき朝鮮半島は米ソ両軍の占領下にあり、まだ独立国家は存在していませんでした。(大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立したのは翌1948年のことです。)そこで外国人登録証の「国籍等」欄には、朝鮮半島出身者を意味する「朝鮮」が記載されることになったのです。したがってここでの「朝鮮」は地理的名称としての意味でしかなく、国籍を示すものではありませんでした。

その後、朝鮮半島に二つの国家が誕生すると、日本政府は韓国政府の要請に応え、申し出があった場合には「朝鮮」籍を「韓国」籍に書き替える措置をとりました。ここでの「韓国」が、大韓民国という国家の国籍を意味することは言うまでもありません。しかし「韓国」籍への書き替えを望まず「朝鮮」籍のままであった人も多数いました。国家が分断されて間もないころは、「韓国」籍への変更は積極的に韓国を支持し、朝鮮民主主義人民共和国に反対する立場の表明という印象があったからです。韓国との関係が緊密化するにつれて「韓国」籍へ書き替える人は次第に増えていきましたが、朝鮮民主主義人民共和国を積極的に支持する人以外にも、南北両国家をともに祖国と考え、両者の対立を望まず、またどちらか一方を選択したくない気持ちから、あえて「朝鮮」籍のままでいる人びともいまだに少なくないのです。いずれにせよ、外国人登録証の「国籍等」欄に記載された「朝鮮」とは、現在でも朝鮮半島出身者という意味であり、決して「北朝鮮」国籍の所持者という意味ではないのです。(なお以上は、あくまでも日本政府の立場にもとづく在日韓国・朝鮮人に対する法的措置であり、韓国政府や朝鮮民主主義人民共和国政府の「国籍」に対する取り扱いはこれとは異なります。話がこれ以上ややこしくなるのを避けるため、ここでの説明は省略します。)

そういうわけで、産経新聞の記事は「朝鮮」籍の意味を理解していないところから生じた誤報なのですが、実はこの記事の本当の問題点は、誤報よりもむしろ報道内容そのものにあります。公明党の「永住外国人地方参政権付与法案」は、韓国籍の永住外国人に対しては地方参政権を認めながら、「朝鮮」籍は対象から除外するという形で、待遇に差を設けているからです。その理由は、与党内に「北朝鮮」支持者への地方参政権付与に反対する意見が、根強く存在するからなのだそうです。しかし外国人であってもその思想・信条によって権利の行使に差を設けるならば、それは民主国家の名にもとる行為と言わざるを得ません。新聞記事中の「北朝鮮国籍」という記述は誤りでしたが、法案の意図するところは、朝鮮民主主義人民共和国の支持者と見られる人びとを排除するというものですから、はからずもその意図の本質を言い当てた記述と言えなくもありません。

朝鮮民主主義人民共和国と関係があると見られる人びとを排除しようという動きは、朝鮮学校などの卒業生に対する国立大学受験資格をめぐっても起こりました。文部科学省は朝鮮学校をはじめとする外国人学校を各種学校として扱っているため、その卒業生に対しては、従来、大学入学資格を認めてきませんでした。そのため朝鮮学校などの卒業生が国立大学を受験しようとすれば、大検(大学入学資格検定)に合格しなければならないという別途の負担を課せられていたのです。ちなみに本学をはじめとする私立大学や公立大学は学長が入学資格を決定しますので、すでに大多数が朝鮮学校など民族学校の卒業者に受験資格を認める措置をとっています。

ところが2003年2月、文部科学省は外国人学校のうち、経済界からの要望が強いインターナショナルスクールの卒業生に対しては大学入学資格を与えるのに対し、朝鮮学校などに対しては、従来通り認めない方向で検討していることが明らかになったのです。これもちょうど拉致問題に対する非難が高まっていた時期の出来事で、文科省の幹部は「いま認めれば、北朝鮮を利するように見られることにつながりかねない」と、その理由を説明していました(『朝日新聞』2003年2月21日)。

拉致問題と高校生の進路に、いったい何の関係があると言うのでしょうか。いかに隣国への反感が強まっていた時期とは言え、若者の将来を左右することになりかねない教育上の方針を、そのときの政治情勢で決めてしまってよいはずがありません。この文部科学省の方針には当然のことながら、国立大学や民族学校の関係者を中心に、強い批判の声が上がりました。結局、文科省はこの年の8月、民族学校卒業生については各大学に受験資格審査を委ねる方針を決定しました。その結果、ほとんどの国立大学が朝鮮学校出身者に入学資格を認める措置をとったのです。

信頼を積み重ねるために

「朝鮮」という言葉を題材として、隣国との関係をよりよいものにするために、日本社会みずからが正すべきではないかと思われる課題を、私なりに考えてきました。もちろん関係改善のためには双方の努力が必要ですから、隣国の人びとに改めて欲しいと思う点もないわけではありません。しかしここでは、あえてそのようなことには触れませんでした。みずからが不信感や敵意をむき出しにした状態で相手に改善を求めても、何ら成果は得られないと思うからです。個人と個人との関係と同じように、国と国との関係、民族と民族との関係も、結局互いの信頼の積み重ねがあってこそ、よい方向に向かうのではないでしょうか。

「朝鮮」という言葉は、朝鮮民族・朝鮮半島全体を指す普遍的呼称でありながら、その日本語音には過去の歴史を背景とする蔑視感が含まれていました。こうした蔑視感を完全にぬぐい去ることができないまま、現在の「北朝鮮」に対する反感が「朝鮮」という言葉に重ね合わせられているような印象があります。だからこそ「朝鮮」という言葉に結びつく形で、さまざまな不条理が起こっている状況に対しては、歴史を勉強している者として敏感にならざるを得ないのです。

「北朝鮮」という国家に対する不信感があるからと言って、在日朝鮮人の方がいわれない差別や排除を受けるような社会は、とうてい民主的な社会とは言えません。「朝鮮」という言葉に対して、私たちがどのような態度をとるのか。そこで問われているのは、ひょっとしたら、日本社会のあり方であり、私たちの生き方そのものなのではないでしょうか。

(『大阪産業大学学会報』第40号、2005年11月)


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