韓国における歴史研究の新たな動向

 一九八九年九月から本年三月初めまで、私は二年半にわたって韓国に留学する機会を得、さまざまな方々との出会いを通じて多くのことを学ばせていただいた。留学前より韓国での歴史研究の雰囲気が若干変わってきたように感じてはいたが、実際にソウルに腰を落ち着けあちこち歩きまわっているうちに、とくに私と同世代に属する若い研究者の旺盛な活動を見聞することになり、大きな刺激を受けたものである。以下いささか時期を逸した感は否めないが、ここではおもに彼ら若手研究者の集う代表的な研究団体――歴史問題研究所、韓国歴史研究会、九老歴史研究所(いずれもソウル所在)などの活動状況を紹介することで、今日韓国の歴史研究において何が問題とされ、それがどのような展開をみせているのかをお伝えしたいと思う。

 ところでこれらの動きの背景として見逃せないのは、韓国において八〇年代中盤より盛り上がりをみせた、祖国の統一と民主化をめざす運動(いわゆる民族民主運動)の急速な高揚、拡散現象である。新たな歴史研究団体の設立に参加した研究者たちは当時、現状を次のように認識していた。「今日私たちの社会は、真の民主主義の実現と祖国の自主的統一を歴史的課題として抱いています。現在この課題を達成するための民主化、自主化の運動が各界各層で熱く湧き上がっています」(「韓国歴史研究会創立趣旨文」)。「われわれは八〇年代の激変を経験しながら、真の民主主義を実現し民族統一を成し遂げていく主体とその制約要因をあらためて確認した」(「九老歴史研究所を開くにあたって」)。韓国社会が現実に直面している諸問題に歴史研究者としてどのように向かい合うべきなのか。彼らの問題意識の根底に、このような真摯な自問が横たわっていることは疑いを容れないところであろう。

 しかしながらひるがえって、民族の今日的課題を解決するために従来の歴史研究は何をしてきたのか。この点に対し、彼らの矛先は厳しい。「この間韓国史学は量的に多くの発展を重ねてきました。また韓国史を主体的な立場から科学的に体系化しようという努力が、ある程度成果をおさめたことも事実です。しかし正しい科学性と実践性を実現するには根本的な限界がありました。学問という名のもとに非科学的な歴史認識が横行し、孤立分散的な研究風土と小ブルジョア的な世界観に囲い込まれ、研究主義、業績主義が澎湃してきました。その結果、韓国史の科学的体系化と研究者たちの実践的な努力はきわめて個別的なレベルにとどまり、支配権力のイデオロギー攻勢に対し積極的に対処することが出来ませんでした」(「韓国歴史研究会創立趣旨文」)。以上のような既存の歴史研究のありかたに対する辛辣な批判は、とりわけ八七年の六月抗争を契機に在野の研究者や若い歴史学徒を中心に唱えられたものであり、歴史研究と社会的実践の結合という時代的要請が新たな研究団体の組織となって具現されたと見るべきであろう。

 もちろん歴史研究の新たな方向を模索する動きは、八七年六月以前の段階ですでに胎動をはじめていたのであるが、この点に関し私の知るところはさほど多くない。この紹介文の内容はあくまでも私なりの理解にもとづくものであり、ことによると事実を反映していない箇所がありはしないかと内心おそれている。読者諸賢の忌憚ないご指正をお願いする次第である。

 なおここで紹介するデータはとくに注記しない限り、九二年五月現在のものである。参考文献は一括して末尾に掲げ、本文中では引用文に限って原文のタイトルを記すにとどめた。

一、歴史問題研究所

 季刊誌『歴史批評』により、すでに日本でも広く知られている歴史問題研究所は、一九八六年二月二一日創立された。ここで紹介の対象とした三つの研究団体のなかではもっとも早くつくられたものである。初代所長には鄭爻鐘氏が就任、九一年初めに李離和氏へと交代した。

 研究所の初代理事長をつとめた弁護士・朴元淳氏は開所にあたって「本研究所は歴史の流れに対するさまざまな問題を客観的に奥深く共同研究し、民族史の正しい方向を提示してその成果を一般に普及」することを目的に「韓国近・現代史に見られる政治・経済・社会・文化のあらゆる現象を相互有機的な関連のもとで総体的に認識、評価するために努力」するという方向が示されている(「今日と明日を創造する歴史のために」)。ここでは近現代史上の諸問題に関する共同研究とその普及活動がうたわれ、また歴史学のみならず人文・社会科学全般にわたって総合的な研究をすすめることが示唆されているが、それは次のような創立の事情とも関連していた。すなわち研究所の開設は「[歴史]研究者が主軸になったと言うよりは、そのときまでの近現代史研究が荒蕪地に近いため自らの社会を正しく認識できず、したがって一九八〇年代に活発に燃え上がった民族民主運動を進展させるうえでも支障がともなうという点を、深刻に感じてきた何名かの人々が主導した」ため、初期の活動も「韓国近現代史の大きな流れをとらえ、文学および近接学問[政治学・社会学など]との連結および紐帯を深めるのに重点をお」くことになったのである(「歴史問題研究所略史」)。

 この時期、活動の二つの柱はセミナーチームによる共同研究と、一般向けに近現代史研究の成果と課題を概論する学術講演会の開催(八六年五月より八七年五月まで)であり、前者の成果は『カップ文学運動研究』(歴史批評社[以下出版社を記さない場合はすべて同社発行]一九九〇年)、『解放三年史研究入門』(図書出版カチ、一九八九年)として、後者の内容は『韓国近現代研究入門』(一九八八年)、として公刊されている。

 このように草創期の特色の一つとして、さまざまな分野の研究者が集まったことを挙げることができるが、八七年の六月抗争以降、各研究分野で独自の組織化がすすむに及んで、研究所は新たな局面を迎えるに至る。すなわち「一九八八年末の時点に至ると初期に広範に参与していた多様な専攻の研究者たちが、各々の専攻領域の研究団体が結成されたことによって、そちらに活動の中心を移動させ」(「歴史問題研究所略史」)研究所を離れることになり、ここで歴史研究部門における独自的な力量の強化が切実な課題として浮上してきたのであった。

 こうして研究所は八九年二月より新たに研究員制度を導入、彼らの日常的な共同研究が活動の中心に位置づけられることになった(現在、常任・非常任合わせて一五名前後の研究員が、運動史・経済史・現代史の三つの分科に分属されている)。また九〇年初めには東学農民戦争百周年記念事業推進委員会が組織され、一九九四年をめざし、大衆向けのシンポジウム、歴史紀行などの事業が進行中である。ほかにも、会報発行(八六年五月より、現在一七号まで)や、漢文講座(八六年九月より)、月例発表会(八七年五月より。ただし不定期)、大衆講座「韓国史教室」(八七年九月より、現在まで一九期。第一七期は『韓国現代史のライバル』一九九二年、として出版)を開くなど、諸活動はすでにかなりの蓄積をもっている。

 また歴史問題研究所ではとくに出版部門を歴史批評社として独立させ、研究成果の普及にあたっている。同社は啓蒙誌として八七年九月より『歴史批評』(不定期刊行物として二号、季刊誌として現在まで一六号)を発行しているが、その他主要な既刊書には次のようなものがある(すでに掲げたものは除外)。

・任軒永・金鉄『変革主体と韓国文学』(一九八八年)
・『民族解放運動史――争点と課題――(一九九〇年)
・学術団体連合シンポジウム準備委員会『韓国人文社会科学の現段階と展望』(一九八八年)
・李離和『歴史人物の話』(一九九〇年)

 とくに以下の「韓国学研究叢書」シリーズは最近の博士学位論文を随時公刊するもので、注目すべき企画である。

・徐仲錫『韓国現代民族運動研究――解放後民族国家建設運動と統一戦線――』(一九九一年)
・キム・キフン『三国および統一新羅税制の研究――社会変動と関連して――』(一九九一年)
・朴賛勝『韓国近代政治思想史研究――民族主義右派の実力養成運動論――』(一九九二年)
・李均永『新幹会研究』(近刊)

二、韓国歴史研究会

 歴史学専攻の大学院生たちにより自主的な研究サークルが組織されはじめるのは、八〇年代半ばのことであったようだ。ここで紹介する韓国歴史研究会と次に述べる九老歴史研究所の母体である、望遠韓国史研究室と韓国近代史研究会もまずはそうした性格をもって出発した模様である。望遠韓国史研究室は八四年にソウル各大学の大学院生有志により結成され、一方韓国近代史研究会は八五年ソウル大国史学科出身者により組織された。前者による共同研究の成果としては『一八六二年農民抗争――中世末期全国農民たちの反封建闘争――』、(図書出版トンニョク、一九八八年)『韓国近代民衆運動史』(図書出版トルペゲ、一九八九年)があり、後者は『韓国中世解体期の諸問題』上・下(図書出版ハンウル、一九八七年)を公刊している。

 このような言わば個別分散的なサークル的活動に転機をもたらしたのが、やはり八七年の六月抗争であったようだ。「一九八七年一一月ごろよりこの間別々に活動してきた望遠韓国史研究室と韓国近代史研究会を中心に韓国史研究者の組織的統合(=新たな韓国史研究者団体の建設)問題が提起」(「韓国歴史研究会略誌」)され、これに各大学の古代・中世史研究者も参加することによって、一九八八年九月三日、韓国歴史研究会が創立された(ただし一部は後述する九老歴史研究所を別個に組織することになる)。

 「韓国歴史研究会創立趣旨文」には「正しい世界観に立脚した科学的な歴史を樹立し、たゆまぬ実践を通じて私たちの社会の真の民主化と自主化に積極参加」することがうたわれている。さきの歴史問題研究所の創立趣旨にくらべ、ぐっと踏み込んだ表現を用いてみずからの意志を明らかにしているところに、時代状況の推移を垣間見ることができる。初代会長には安秉旭氏が就任したが、九一年の総会で安秉佑氏に交代した。

 会員数の現況は、研究会の中核として共同研究など諸プロジェクトに参加する研究会員が二七七名、その他の一般会員が二六三名となっている(一九九一年末現在)。研究会員は大きく古代、中世一・二、近代、現代の五つの分科に分かれ、各分科のもとには計一六の研究班が置かれている。会報は八八年一〇月に創刊され、現在まですでに一一号をかぞえた。

 対外活動としては年一回の学術大討論会、月例で各研究班の持ち回り形式による研究発表会、大衆歴史講座「韓国史特講」(八九年一月より、現在まで六回)などを開催するほか、随時シンポジウムも開かれている(八九年に歴史問題研究所と共同で開催したシンポジウムの内容は、同年『三・一民族解放運動研究』として青年社より出版された)。また九〇年からは五カ年計画で甲午農民戦争百周年記念事業がスタートし、一年ごとにテーマを定め、共同研究→シンポジウム開催→論文集刊行、というサイクルで事業が進められる予定である(初年度の成果は『一八九四年農民戦争研究T――農民戦争の社会経済的背景――』歴史批評社、一九九一年、として刊行された)。

 最近設立された研究団体全般に共通する点であるが、とくに韓国歴史研究会では共同研究ないし共同執筆という形式での出版事業を積極的に推進している。これまで公けにされたものとしては次のようなものがある。

・会誌『歴史と現実』(一九八九年五月創刊で年二回発行。現在六号まで刊行)
・『韓国史講義』(図書出版ハンウル、一九八九年。改訂版として最近『韓国歴史』歴史批評社、一九九二年、が刊行された)
・『朝鮮政治史 一八〇〇〜一八六三』上・下(青年社、一九八九年)
・『日帝下社会主義運動史研究――朝鮮共産党再建運動篇――』(ハンギル社、一九九一年)
・『韓国現代史』T〜W(図書出版プルピッ、一九九一年)

三、九老歴史研究所

 九老歴史研究所は一九八八年一一月一二日に創立された(所長は尹漢宅氏)。その創立趣旨は「わが民族の歴史を民衆主体の立場で研究し、その成果を一般大衆とともにする」というものであるが、望遠韓国史研究室と韓国近代史研究会の合同にあたって、とりわけ「基層民衆との接触空間を拡大」することに関心を抱くグループが、韓国歴史研究会とは別個に組織したものと見ることができそうだ。すなわち研究所のめざすところとして、とくに研究者の現実参与と、そうした「社会的実践を通じて研究結果の検証を受け」ることが重視されており、みずからの研究活動を社会運動の現場のなかで錬磨していこうとする点に、この研究所の独自性があると言えよう(以上の引用は「九老歴史研究所を開くにあたって」より)。

 研究活動はやはり研究員が中心で、前近代、移行期一・二、現代史の四つの分科に分かれて共同研究をすすめているが、内部の学習会が中心であり、シンポジウム、研究発表会などは開催されていない。研究所がとくに重点を置く大衆教育活動は、宗教・教育・労働者・農民・学生・市民など各社会運動団体の招請に応じる形で実施されており、地方まで出向いて行われる場合もあるそうである。会報は八九年三月に創刊され、第三号まで発行されている。

 同研究所の手による出版物としては、教育活動の成果と反省をもとに共同執筆された通史『正しく見直すわが国の歴史』一・二(図書出版コルム、一九九〇年。改訂版、一九九一年)があり、その他『わが国地方自治制の歴史』(図書出版コルム、一九九〇年)『わが国メーデーの歴史』(図書出版プルピッ、一九九〇年)などを刊行している。

四、その他の研究団体・組織

 以上、ソウルに所在する主要三団体について述べてきたが、これ以外にも分野別・大学別にさまざまな研究団体が組織されており、また地方での活動も次第に活気を帯びつつある。ここではあくまでも私が知り得た範囲で、しかもすでにある程度の出版活動を行っている団体に限り、箇条書き形式で簡単に紹介しておきたい。

(1)韓国近現代社会研究会……八七年、高麗大の各学科出身者を中心に発足した(会長は姜萬吉氏)。九〇年秋に開催されたシンポジウムの成果は『日帝末朝鮮社会と民族解放運動』(一松亭、一九九一年)として出版されている。

(2)韓国基督教史研究会……『韓国基督教の歴史』一・二(基督教文社、一九八九、九〇年)を出版。同会のメンバーは昨年来日し、日本の研究者とも交流した。

(3)反民族問題研究所……故林鐘国氏の遺志を承け、いわゆる民族反逆者問題の研究を目的に九一年設立。林氏の遺稿集『実録親日派』(図書出版トルペゲ、一九九一年)を編集したほか、『林鐘国全集』全一六巻、『親日派事典』の編集作業が進行中であるという。

 次の二つは地方で組織されたものであるが、専門的な歴史研究者が中心になったと言うよりは、現代史の真実を市民レベルで発掘していこうという趣旨により創設されたもののようである。

(4)韓国現代史史料研究所……八八年、光州で設立。八〇年の光州五月抗争に関する資料収集から着手し、シンポジウム開催などをおこなった。不定期刊行物の会誌『歴史と現場』(創刊号のみ、一九九〇年五月)や『光州五月民衆抗争史料全集』(図書出版プルピッ、一九九〇年)を出版している。

(5)済州四・三研究所……済州四・三抗争(一九四八年)の真相を究明するため、八九年に設立。体験者からの聴き取り調査、遺跡地巡礼、慰霊祭、シンポジウム開催などおこなう。『今だから話します』T・U(図書出版ハンウル、一九八九年)、『済州新報――一九四七・一・一〜一九四八・四・二〇――』(影印版編集、実践文学社、一九九一年)、不定期刊行物『済州抗争』(創刊号のみ、一九九一年四月)の刊行のほか、会報『四・三長征』を随時発行している。

 その他、釜山、大邱、光州など各地方都市で多様な研究団体が活動中のようだが、資料不足のためここでは省略したい。また以上紹介したものとは性格を異にするが、安秉直(ソウル大)・李大根(成均館大)両教授を中心に、おもにソウル大経済学科出身者によって運営されている「落星台研究室」では、私たち日本人留学生がとくにお世話になっていることも付記しておきたい。

 いま振り返ると、私がソウルで生活をはじめた八九年九月より九〇年前半ころまでは、これら新しい研究団体がもっともめざましく活動を繰りひろげていた時期であったようだ。そのころにくらべ最近の活動は、内外情勢の変動やそれにともなう研究者の意識の変化、あるいは財政上の困難さなどにより、率直に言ってやや沈滞気味ではないかという印象を受けている。新しく何かをはじめるために大変な努力が必要なのはもちろんであるが、継続させることもそれに劣らぬ苦労を要するものと実感せざるをえない。彼らの活動が今後どのような展開を見せるのか、組織活動を続けていくうえで大きな転換点にさしかかっているように思われる。

 しかし留学期間中、新進研究者の真摯な情熱から多くのことを学んだ私としては、彼らを信じつつその動向を見守り、また協力していきたいと考えている。その見解に全面的には賛同できないものの、ここで紹介した数多くの成果が、後世の史学史においてきわめて重要な位置を占めることは疑いのないところであり、彼らの努力はさまざまな形で将来の研究活動に継承されていくであろう。日本の研究者が彼らと望ましい関係をもって交流できる日の到来することを念じつつ、筆を置くことにしたい。

 

[参考文献]

朴元淳「今日と明日を創造する歴史のために――歴史問題研究所を開設するにあたって――」(『歴史問題研究所会報』創刊号、一九八六年七月)

歴史問題研究所事務局「歴史問題研究所略史(一九八六・二・二一〜一九九一・二・二八)」(同前、第一四号、一九九一年三月)

「韓国歴史研究会創立趣旨文」(『韓国歴史研究会会報』第一号、一九八八年一〇月)

「韓国歴史研究会略誌」(『歴史と現実』創刊号、一九八九年五月)

「研究会略誌」(同前、第四号、一九九〇年一二月)

「韓国歴史研究会略誌(一九九〇・九・一五〜一九九一・一二)」(同前、第六号、一九九一年一二月)

「九老歴史研究所を開くにあたって」「研究所活動紹介」(『九老歴史研究所会報』第一号、一九八九年三月)

「研究所活動紹介」(同前、第二号、一九八九年一一月)

 

(『朝鮮史研究会会報』第108号、1992年8月

 


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