書 評

吉見義明・林博史編著『共同研究 日本軍慰安婦』

(大月書店、1995年)

 五〇回目の敗戦記念日を目前に控えた昨年七月一九日、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下「国民基金」)が発足し、元日本軍「慰安婦」の方々に対する償いのあり方をめぐる議論は、新たな段階を迎えた。周知のように被害者の女性たちからは、国家補償ではない「国民の募金」による一時金の支給に反対する声が相次ぎ、「国民基金」は発足当初から非常な苦境に立たされることになった。内外の批判が渦巻く中で「国民基金」は今年六月四日に、被害者一人当たり二〇〇万円以上の支給を決定(七月一九日、一律二〇〇万円となる)、八月一五日までには支給を開始したいとの意向であるようだから、本稿が活字になる予定の九月ごろには、また大きく情勢が変化している可能性が高い。

 元「慰安婦」の方々が「日本国民」からではなく、あくまでも日本政府からの補償を要求している点は、けだし重要な意味をもっている。彼女たちは日本国家の責任と日本の一般市民の責任とを、明確に峻別してくれたのである。「反日感情」としてマスコミで喧伝されるアジア民衆の対日認識を、私たちはより立体的に捉える必要があるだろう。戦争や植民地支配によって被害を受けたアジアの人びとに対し、戦後五〇年が経過しても、なお誠意をもって向かい合おうとしない日本国家に、その責任を実行させることこそが、日本の市民としてまず果たすべき「戦後責任」なのである。この責任を全うしてこそ、私たちは過ちを繰り返さない決意を行動で裏付けた社会の一員として、アジア民衆と真の信頼関係を築くことが出来るのではなかろうか。元「慰安婦」の方々による「国民基金」反対の主張は、私にはこのような問いかけに聞こえるのである。

 そのような意味で、私は本書の冒頭に述べられている「戦争犯罪であり、民族差別であり、性犯罪である日本軍慰安婦制度の事実の解明と被害者の名誉回復や補償の実現は、現在の日本社会と私たちにとって、人権と民主主義の水準を問う試金石である」(i〜ii頁)という問題認識に全面的に同意する。日本の戦争責任資料センター「従軍慰安婦」部会の共同研究の成果である本書は「日本軍が設けた慰安婦・慰安所の全体像と全過程を描こうとする試み」(ii頁)であるが、重要なことは、本書の共同執筆者の方々が被害者に対する国家補償の実現のため、長期にわたって調査、支援活動を続けてこられたという点である。書評という形式をとる以上、本書を研究書として批評するのが評者の役目であろうが、こうした献身的な努力によって培われた多角的な問題意識から慰安婦制度の総体を浮き彫りにしようとする姿勢が、本書の大きな特徴となっている点にまず注目しておきたい。

 本書の構成は次の通りである(カッコ内は分担執筆者)。

 はじめに(吉見義明・林博史)

 第一章 日本軍慰安婦とはなにか(吉見義明)

 第二章 軍慰安婦制度の指揮命令系統(吉見義明)

 第三章 日本・台湾・朝鮮からの軍慰安婦の徴集(西野留美子、林博史、尹明淑)

 第四章 中国占領地における徴集と慰安所の展開(藤井忠俊)

 第五章 アジア太平洋戦争下の慰安所の展開(林博史、川田文子、西野留美子)

 第六章 軍慰安所における生活実態(川田文子)

 第七章 心身に残る傷(梁澄子)

 第八章 日本軍慰安婦制度の歴史的背景(早川紀代、金富子、吉見義明)

 おわりに(吉見義明)

 九名の共同執筆によるため、かなり細かく分担が分かれている。以下、本書の内容を評者なりに要約、紹介していきたい。

 まず第一章は本書全体の前提として、日本軍慰安婦制度の概要と、この制度が必要とされた理由を簡略にまとめている。現在資料的に確認される最初の軍慰安所は一九三二年に上海で設置されたものであるが、戦争の拡大にともない、日本軍部隊が派遣されたところには、日本本土を含めてどこでも慰安所が設置された。中国戦線では朝鮮人と中国人が、東南アジア・太平洋地域では占領地の女性が慰安婦の多数を占め、軍慰安所のタイプは軍の関与の度合いによって大きく三つのタイプに分類することができる。そして植民地・占領地の女性が慰安婦にされた理由として、人種(民族)差別と、国際法上の制約により日本本土からの徴集が限定されていたことを、また日本軍が慰安所を必要とした理由として、強姦防止、将兵への「慰安」提供、性病問題、機密保持・スパイ防止、を挙げている。

 第二章は慰安婦制度をつくり運用した主体、すなわち国際法違反の責任を負うべき主体の特定をめざした、制度の骨格に関わる部分である。陸軍での慰安所設置・慰安婦徴集については、天皇に直隷し参謀総長・陸軍大臣の区処を受けた、各派遣軍の最高指導部が指示しており、とくにアジア太平洋戦争期に入ると、陸軍中央が慰安婦の渡航を管理するとともに、みずから慰安所の設置に乗り出したことを明らかにしている。また海軍では陸軍以上に中央統制の性格が強く、内務省や朝鮮総督府・台湾総督府も慰安婦の徴集、渡航に関与していたと指摘する。

 第三章以降は慰安婦徴集、慰安所設置の具体的状況について紹介している。まず日本国内からの女性の徴集については「1主として貧困層に属する、あるいは遊廓や飲食店に従業していた日本人、朝鮮人女性が徴集されていたこと、2募集は軍が統制し、3軍の許可を得た業者がこれにあたっていたこと、4渡航においては国際法違反行為がみられ、未成年者の徴集や詐欺による徴集があったこと」(四〇〜四一頁)を特徴として挙げている。台湾からの徴集では、業者が水商売や貧しい女性を対象に詐欺まがいの勧誘をして集め、台湾総督府・台湾軍の許可のもとに送り出したが、全体として暴力的な拉致はおこなわれなかったと推定している。また朝鮮からの徴集においては、一九三〇年代の朝鮮農村の経済的疲弊を背景に、接客業者・周旋業者が朝鮮女性を接客業婦に仕立てあげた仕組みが、朝鮮総督府の管理統制のもとで、慰安婦の「募集」方法(就業詐欺、人身売買、誘引拉致・強制的連行)として「生かされた」点を強調する。

 第四章では、中国戦線における現地女性の徴集をめぐって、重要な見解が述べられている。日中全面戦争勃発後、当初は主として日本や朝鮮から慰安婦が連れて来られていたのが、一九三八年秋以降、戦線が膠着すると、前線地区では現地の中国人女性を徴集して、部隊長の独断による−軍司令部の把握していない「ヤミの軍慰安所」が設置されたというのである。一時的に監禁、強姦されたケースまで含めると、中国人女性被害者の数は膨大なものになると推測され、したがって「日本軍慰安婦の中で朝鮮人が圧倒的多数を占めていたという説は、再検討を要する」(八九頁)ことになる。また本章では、関特演が朝鮮人慰安婦の徴集に新たな画期をもたらしたと思われること、アジア太平洋戦争期には中国人女性が東南アジア地域に連行される例が出てくることも、あわせて紹介している。

 第五章は、本書でもっとも多くの頁数が割り当てられた部分であり、東南アジア・太平洋地域から沖縄、日本本土まで、広範な地域に設置された慰安所の具体的事例が詳述されている。

 まず東南アジア・太平洋地域での女性の徴集方法として、在住日本人、新聞、地元住民組織の幹部などを通じた「募集」のほか、詐欺や暴力的拉致によるケースが指摘されている。その特徴としては、第一にアジア太平洋戦争の開戦前から軍中央において準備され、組織的におこなわれたこと、第二に朝鮮や台湾以上に軍が果たした役割が大きかったこと、第三に占領地住民に対する残虐行為と一体となっておこなわれたこと、第四にインドネシア(とくにジャワ)の女性が慰安婦の「供給地」にされたこと、が挙げられる。このころ東南アジアのほとんどの地域では、公娼制度を廃止ないしは縮小する政策が採られており、日本の外務省・在外公館も日本人娼婦(からゆきさん)をなくすための取締りをおこなっていたが、日本軍による慰安所設置はそのような流れに真向から反するものであった。なおオランダ人などヨーロッパ女性が徴集された場合には、形式的にせよ本人の「同意」が必要と考えられたようであり、この点はアジア女性への対応とはまったく異なっていた。

 またこの地域では、兵站や駐屯部隊、軍政監部が慰安所の運営を担当、憲兵隊もこれに密接に関わっていたというが、とくに「フィリピンでは戦争後期になると暴力的な監禁輪姦と変わらないような状況が広がってい」き、「慰安婦の徴集にあたってもとくに暴力的であった」(一二七頁)との指摘には注目しておきたい。全体としてこの地域における慰安婦の多くは、地元女性であったと推定されるのである。

 沖縄の場合、主として一九四四年三月の第三二軍の創設以降、地元住民の反発を押し切る形で慰安所が設置されている。その多くは、沖縄女性または朝鮮人女性を抱えたもので、慰安婦たちは沖縄戦による慰安所封鎖にともない、戦場に放り出されることになる。さらに日本国内でも、部隊駐屯地や軍事施設建設現場に軍慰安所が設置され、また炭鉱や軍需産業にたずさわる民間企業においては「事業場慰安所」がつくられたことも明らかにしている。

 続いて第六章では、慰安所における女性の生活実態がまとめられている。慰安所の多くは軍の接収した建物が利用されたこと、利用者の限定(軍人・軍属のみ)、衛生サックの使用、利用時間・料金、性病検査などを定めた利用規定がつくられたこと、女性の逃亡防止に神経を使い、慰安婦が「料金」を受け取る例はまれであったこと、しばしば暴力が振るわれ、自殺・心中強要・戦闘などで負傷、死亡した女性も少なくなかったことなどが、指摘されている。

 第七章では、元「慰安婦」の方々の心身に残る傷について検討している。被害者に直接接する機会をほとんどもたない評者などは見落としがちな、きわめて重要なテーマである。まず被害者の具体的症状として、不安神経症、悪夢、震えなどの事例を紹介したうえで、これらが現代の性暴力被害者(とりわけ児童に対する性的虐待)に見られる症状−否定的自己評価、性関係の障害、想起がもたらすストレスなどに通じる点を明らかにしている。身体に残る傷痕・刺青、不妊などに苦しむ女性も多い。しかし名乗り出た女性たちは「事実を率直に受けとめ共感してくれる聞き手がいるということを知り、話し、受け入れられることで少しずつ癒しを経験している」(一八二頁)のであり、したがって本書が述べるように、被害者が本当の意味での「癒し」を得るためには、日本政府による被害回復措置こそが何よりも求められていると言えよう。

 最後に第八章では、慰安婦制度の歴史的背景として、日本社会と公娼制、朝鮮植民地支配と朝鮮人女性、日本軍隊の特質について検討している。まず近代日本において公娼制度が女性の性に対する蔑視を再編成したとの認識にもとづき、この制度の最大の特色を、人身の拘束をうけておこなう売春による前借金返済が公認された点に求める。一方、植民地・占領地では紹介業の取締規則に反して、誘拐や詐欺による婦女取引がさかんにおこなわれており、さらに軍と公娼制の密接な結びつきが、日本社会の廃娼の流れに逆行する形で、軍が慰安婦制度を導入するベースになったと主張する。

 また植民地支配のもとで、朝鮮人女性は教育から疎外されつづけるとともに、貧困による家庭崩壊のしわよせは、家父長制の中でもっとも弱い立場におかれた娘たちに集中した。こうして日本による公娼制度の移植は、朝鮮人売春婦を生み出して朝鮮社会に買売春が定着・蔓延する契機をつくる一方で、女性の売買を禁止する国際条約は適用されず、国境にまたがる人身売買ルートが確立していくことになった。そして日本軍においては「戦時利得」として強姦を肯定する考え方が軍隊内に深く浸透しており、こうした発想が、軍隊内秩序の維持という目的や、アジア人に対する蔑視意識、女性に対する差別意識に支えられていた点を、慰安所設置の背景として指摘している。

 本書の成果と残された課題については「おわりに」で編著者自身が総括している。これについては紙幅の関係もあり詳述を避けるが、編著者の自負するように、日本軍慰安婦制度の全体像が本書によってかなり明確に提示されたと言えるだろう。冒頭述べたような、共同執筆者の地道な実践活動が、学術研究の面でも従来の水準を一挙に引き上げる成果を生み出した点に、深く敬意を表したいと思う。

 ところで評者がとりわけ関心をもって読んだのは、中国や東南アジアの前線地区における女性の徴集方法と「慰安所」の形態についての叙述であり、従来抱いていた慰安婦制度に対するイメージを修正する必要を感じているところである。この点に関する若干の考えをここで述べることで、論評に代えたいと思う。

 評者は朝鮮近代史を専門としていることもあって、これまで「慰安婦」と言えば、仲介業者により詐欺などを含む強制的な手段で連行された、朝鮮人女性のケースを主として思い描いてきたし、また慰安所についても軍当局の徹底的な管理下におかれた施設という印象を強く抱いていた。しかし本書によれば、中国やフィリピンの場合、将兵が直接、暴力をもって現地女性を拉致したケースも多く見られ、このような形でつくられた「慰安所」は、往々にして部隊単位で設置された、軍司令部の把握していない存在であったようなのである。とくにフィリピンについては、最近出版された被害者の証言から、具体的な拉致、監禁、強姦・輪姦の事例を数多く知ることができる(マリア・ロサ・L・ヘンソン〔藤目ゆき訳〕『ある日本軍「慰安婦」の回想−フィリピンの現代史を生きて−』岩波書店、一九九五年。フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団編『フィリピンの日本軍「慰安婦」−性的暴力の被害者たち−』明石書店、一九九五年)。こうして見ると、和田春樹氏や、本書の執筆者の一人である川田文子氏が指摘するように、「慰安婦」に対する性的「慰安」の強要と、監禁による強姦(凌辱)の線引きは、実際のところ不可能であると言うほかない(大島孝一ほか編『「慰安婦」への償いとは何か−「国民基金」を考える−』明石書店、一九九六年、一七七〜一七九頁)。

 とすれば次のような問題を考えねばなるまい。第一に、かねてより(そして本書六頁でも)本書の編著者の一人・吉見義明氏は慰安所を、軍がどのようにその運営に関与していたかという観点から三つのタイプに分類され、私もその分類はきわめて妥当なものと考えてきた。しかし横田雄一氏が述べるように、フィリピン女性の受けた性暴力による被害は「軍直轄のいわゆる軍「慰安所」あるいは軍の管理下で民間業者が経営していた「慰安所」[以上はそれぞれ吉見氏の分類する第一、第二タイプの慰安所に相当する−引用者]における女性の被害とも様相を異にする」ものであったと認めなければならない(前掲『フィリピンの日本軍「慰安婦」』一〇七頁)。すなわち軍当局の把握していない、部隊長の独断で設置された、本書第四章で言うところの「ヤミの慰安所」−しばしば専ら将兵による強姦・輪姦のための女性の監禁施設となった−は、吉見氏(=本書)の三つのタイプとは別のタイプとして把握する方が、現実に即しているのではなかろうか。とくに本書の第五章では、部隊単位でつくられた慰安所も一括して「軍直営」(=第一タイプ)として捉えているようだが、明らかに軍司令部の統制外にあったものについては、やはり区別して考えるべきであったと思う。

 そしてより重要な問題として第二に、こうした軍当局の統制外にあった「慰安所」において被害をこうむった女性に対する国家の責任を、どのように規定すべきかを、理論的に解決しておかねばならない。と言うのは、このような「慰安所」(=将兵による強姦・輪姦のための女性監禁施設)については、軍当局が把握していなかったとの理由で、国家に責任はないとする強弁が主張される可能性があるからである。フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団は、ハーグ第四条約、「人道に対する罪」違反、フィリピン旧民法を根拠に、日本軍将兵の監禁・強姦などによる損害に対して補償を要求しているが、これを他の地域のケースにも敷衍し、女性に対する戦争犯罪への日本国家の責任をトータルな形で追及するためには、その法的根拠をより緻密に構築しておく必要があるだろう(フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判において、国が「人道に対する罪」違反は行為者個人の刑事責任(処罪)が追及されるだけで、国家の民事責任(賠償)の根拠とはならないと主張している点に、注目しておきたい)。その意味では本書でも、国際法から見た慰安婦制度の犯罪性について、より踏み込んだ分析が欲しかったところである。また歴史研究の立場からは−本書でも配慮されてはいるが−占領地の女性に対する拉致、監禁、強姦を許容する日本軍の体質が、軍当局の管理する慰安所を通じて、むしろ拡大再生産されていったという視点をより積極的に導入しつつ、慰安婦制度の全体像を構築していかねばなるまい。

 評者はこの間「慰安婦」問題全般にわたってバランスよく関心を払ってきたとは言えず、以上述べた感想も、ことによると焦点からはずれたものになっているかも知れない。評者の不勉強のために、本書の内容を誤って理解した点があればご寛恕を乞うとともに、執筆者各氏が、今後とも調査・研究活動や被害者の支援活動に努力され、慰安婦問題の真の解決に向けての展望を、引き続き提示して下さるようお願いしたい。

『季刊戦争責任研究』第13号、1996年9月


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