分断反対闘争の展開(テキスト:4−5 分断反対闘争の展開)
(1)「2月ゼネスト」(2・7救国闘争)
a)背景
第2次米ソ共同委、事実上決裂(1947.7.10)→米、最終提案(8.26)→ソ連拒絶
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米の朝鮮問題国連提訴通告(1947.9.17)
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国連総会決議112(II)採択(47.11.4):48.3末までの代議員選挙実施、臨時朝鮮委への設置
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UNTCOK、国連監視下での南朝鮮単独選挙実施決定(48.3.12)→5・10選挙へ
b)左派の反対
南労党中央委声明(1947.11.26):米提案の単選・単政に反対
ソ連の提議(10.28:国連第1委員会)するように、米ソ両軍を撤収させ、民主自立政府を樹立するためにあらゆる救国闘争を積極支援する
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│1948.1. 8 臨時朝鮮委代表ソウル到着
│ 1. 9 金日成、北への立ち入り拒否
│ 1.22 ソ連、臨時委の活動への参加拒否、北への立ち入り認めず
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南労党と民戦、「国連臨時朝鮮委反対朝鮮総罷業委員会」構成
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│指導
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c)2月ゼネスト
全評参加の各単位労組が組織的にデモ開始(48.2.7)
全国各地に労働者・農民・学生によるデモ、スト拡散(2.10まで)
スト・デモ再燃(2.25)→3月初めまで続く(30万人参加。警察との衝突で100余名死亡)
以後も南労党を中心に単選阻止闘争続く(4.16[立候補者締切日]までに176件。4月中の死亡者154名)
5.8 単選ボイコット訴え、全国的なゼネスト(5.10まで投票所57カ所・選挙事務所134カ所襲撃、警察7名・民間人72名死亡)→選挙後も単選無効闘争続く(米軍政、内戦状態と認識。死者721名)
(2)済州島4・3抗争
a)背景:建準支部創設(1945.9.9)→人民委員会組織(9.23)
自主的に統治→左派優勢だが左右合作
米軍の占領遅れる:11.10戦術部隊(第6師団第20歩兵連隊)到着
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穏健・強力:10月抗争(1946)に参加せず。南朝鮮過渡立法議院選挙に参加、全国で唯一人民委出身者が当選
b)3・1節発砲事件(1947)
3・1節28周年記念島民大会開催。10万人(島民の1/3)参加
観徳亭前デモに2万名、警察発砲→理性を失った警官が病院で再び発砲。これら一連の事件で6名死亡
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反軍政闘争の開始→3.10全島でゼネスト
c)米軍政の弾圧
趙炳玉警務局長以下、400名の保安部隊、西北青年団(右翼)を本土から派遣
白色テロ、武力鎮圧→対立さらに先鋭化(島民、漢拏山に避難)
2・7救国闘争の全国的展開…済州島でも単選単政反対闘争
*済州島では人民委・左派の指導部と組織健在(蜂起の強力さの一因)
d)抗争の勃発
南労党済州委、4.3に蜂起の指示
1948.4.3 午前2時、南労党員はじめ3000名の島民が14警察支署襲撃・占拠、西北青年団等攻撃→米軍政、ただちに警察・右翼団体増派(5月初め、ディーン軍政長官みずから済州島に乗り込みゲリラ掃討作戦指揮へ)
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南労党済州委、長期的な遊撃闘争へ方針固める(4.15)→自己防御的な自衛隊から人民遊撃隊へ
5・10選挙阻止←各地の選挙事務所を遊撃隊が攻撃
投票率:登録者数の52%、有権者数の35%。全く投票できなかった投票所20%
3選挙区中2つは50%以下→軍政、無効と宣言(5.24)。6.23に再選挙予定、結局無期延期
e)抗争の結末
選挙失敗後、国防警備隊(のち韓国軍)大量動員→鎮圧作戦の主力は警備隊へ
5月中3000余名の無差別逮捕→遊撃隊さらに山奥深くへ、長期化
11.17島全域に戒厳令公布
焦土化作戦で翌年春まで人命被害極限に、住民大虐殺
本土にも飛び火:出動予定の麗水駐屯第14連隊で一部兵士が反乱。順天でも(10.20)→27日鎮圧→智異山パルチザンへ(以後、軍内左派への粛正続く)
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1949年5月ごろまでにほぼ鎮圧
李承晩大統領訪問(1949.4)、選挙実施(5.10)、済州島地区戦闘司令部解体(5.15)
*死者3万余名(島民の1/8)の大部分が民間人
(3)南北協商の挫折
金奎植、民主自主連盟結成(1947.12.20)、金九系も合流(左右合作委の後身的役割)。南北要人会議推進の談話(1948.1.27)
金九、南朝鮮単独政府樹立反対声明(1948.1.28)
金九・金奎植、北の金奉・金日成あてに書簡、南北政治指導者間の協商提議(2.16)
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統一政府の樹立めざし、協商に参加する南側の代表選出
3.25 北民戦、4.14に平壌で単独選挙に反対するあらゆる政党・団体の連席会議提案
政治の現状に関する意見交換、単線反対のための対策、統一政府樹立の対策研究
単選反対の諸団体代表が越北(金九は4.19、金奎植は4.21北へ)
4.19〜23
全朝鮮政党社会団体代表者連席会議(56政党・社会団体、695名参加)
金日成が北朝鮮情勢報告、朴憲永・白南雲が南朝鮮情勢報告、金九演説
米ソ両軍の即時撤兵、単政反対全国闘争委の結成を宣言
4.30 南15人・北4人の「南北朝鮮諸政党・社会団体指導者協議会」
一方で、四金会談、南に対する送電継続など
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4.30 56政党・社会団体の共同声明書
米ソ両軍の即時撤退要求、外国軍撤退後に統一政府樹立、南朝鮮単独選挙の結果を認めず
*民族統一と自主独立を求める朝鮮人民の意志を表明、しかし金九・金奎植が実質的な内容の討論を求めたのに対し、北側は北中心の統一政府の樹立を確保しようとする意図→現実的な力はあまりない
5.5 金九・金奎植、ソウルに帰る→南北協商の経緯と合意事項を説明した共同声明発表
*49.6.26金九暗殺